初心者のための日韓議論場

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Re: 朝鮮軍と仏軍・米軍の戦い

投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2005/11/02 02:16 投稿番号: [3060 / 7270]
「朝鮮王朝5百年」で検索したサイトの「コラム」に書かれていました。

>増援部隊の官軍(5百名の鉄砲隊とも、猟虎手という虎の狩人5百名の義勇兵とも、
>虎狩りの猟師8百名の弓とも、山猟兵約1千名とも、
>狙撃兵60余名とも、書籍によってまちまちの表記だが・・・)

  「虎狩猟師の弓」はなかなか強力そうですね。(でもすぐ8百名も「虎狩の猟師」が集められるほど当時は虎が棲息してたんだろうか?)

  「5百名の鉄砲隊」が現実的かなぁ・・

__________________________________

コラム   丙寅洋擾
  丙寅の洋擾。1866年   アメリカ・フランスの朝鮮攻撃を言う。「シャーマン号事件」と「フランス艦隊侵攻」の二つの事件の総称。
「シャーマン号事件」
ゼネラル・シャーマン号事件、シャーマン号焼打ち事件、平壌洋擾とも言う。ここでは朝鮮側の記録を中心に記載した。
陰暦5月11日(陽暦8月15日)、清国の芝●から交易に来たアメリカ汽船ゼネラル・シャーマン号(ジェネラル・シャーマン号。実際は軍艦。大砲2門と大量の武器弾薬を搭載。船主はW=B=プレストン。船長ペイジら乗員は20名)、大同江から平壌近くまで侵入し、黄洲牧使(「牧使」は地方職正三品で州の長官)丁大植の来船目的の問情と退去勧告を無視し、大同江沿岸の民衆・官憲の退去要求も無視し、発砲して人民殺傷。夜間には上陸して略奪・殺戮(見物にきた朝鮮人20名以上を虐殺、または死傷者10数名とも言われる)し、船の動向を追跡する中軍李●益や部下の愈淳遠・朴致永らを拉致監禁して、平壌庶尹(「庶尹」は漢城府従四品)申泰鼎の人質釈放要求には米1千石・金銀・朝鮮人参を交換条件にするなど軍民の激怒を買う。
9月5日、シャーマン号、大同江にて官軍に焼かれ撃沈される(官軍と市民ら、船員24名全員殺害)。
「フランス艦隊侵攻」
9月20日、フランス東洋艦隊3隻(提督はローズ)で、旗艦はプリモゲー(プリモウゲ)号。3隻の艦砲が合計20門未満、漢江の下流域にある京畿道の南陽湾に至る。
9月25日、フランス艦隊、漢江の楊花津まで上るが漢江川岸の柳花津布陣の官軍(兵力)5千名)の砲撃により、偵察だけで撤収。
10月11日(13日)、ローズ提督のフランス東洋艦隊7隻(ラ・ゲリエル号など。兵力は海兵6百名、または1千名、陸戦兵士1千5百名余とも)、江華沖に現れ江華島(江華府占領と漢江河口の封鎖)。フランス軍、水路から漢城への進軍開始し、官将韓聖根率いる官軍(兵力3千名)と文殊山城で半月以上の攻防(韓聖根率いる50名の狙撃で撃退)。
10月26日、文殊山城戦闘。10月27日〜11月12日、鼎足山城戦闘。
11月、官将梁憲●率いる増援部隊の官軍(5百名の鉄砲隊とも、猟虎手という虎の狩人5百名の義勇兵とも、虎狩りの猟師8百名の弓とも、山猟兵約1千名とも、狙撃兵60余名とも、書籍によってまちまちの表記だが・・・)、夜間、密かに江華島に上陸し、鼎足山城にたてこもりに文殊山城から引き返し猛攻を加えるオリビエ大佐のフランス軍160名を撃退。
11月7日(9日)、フランス軍死者6名、負傷者30余名(または70余名)、官軍戦死者1名、負傷者4名。
11月18日、フランス艦隊、江華府城を焼き払い江華島を撤退。
35日間の仏朝軍交戦で、フランス海兵の死者は200余名を出した。フランス東洋艦隊は撤退時、江華島の王室財産(中国と朝鮮の書籍3千余巻・各種の官印・49万両に及ぶ※馬蹄銀など)を、18の木箱につめて撤収。仏軍には戦利品だが、朝鮮軍にとっては略奪行為である。
結局仏米両国とも、朝鮮の開国が本心だったが、頑強な大院君政権の態度に、武力に訴えた感がある。既に朝鮮を除くアジアの諸国は開国済みであり、帝国主義国にとって朝鮮の態度は見過ごすわけにもいかないのであろう。

(「韓国・朝鮮史   五百年王朝の衰亡」より   )
__________________________________

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)