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植民地朝鮮の研究 戦後の韓国

投稿者: honto_gou 投稿日時: 2005/01/19 21:14 投稿番号: [2093 / 7270]
杉本幹夫 植民地朝鮮の研究 戦後の韓国
http://devs.data-room.info/cgi-perl/bunken/serv.cgi?CHOICE=P&ID=0840220121010041

一   日本から見た戦後の日韓関係

  三国人問題

  一九四五年(昭和二〇年)八月一五日日本はポツダム宣言を受諾し、降伏した。それより先、四三年三月一日に発表されたカイロ宣言では、「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由且つ独立のものたらしむの決意を有す」との文があり、ポツダム宣言でもカイロ宣言の条項は履行する事になっていた。

  この発表を聞いた朝鮮人、特に炭坑等、重労働現場に徴用されていた朝鮮人は欣喜した。それらの現場の中には配給制度の崩壊により、十分な食料の配給が貰えない現場があった。そのような現場では、未払い賃金や強制貯蓄させられていた貯金も貰わず、窓ガラスを叩き割り退散した。これがその後問題となる、未払い賃金の補償問題の起こりである。

  一〇月四日政治犯が一斉に釈放された。共産主義者や独立運動家である。一九四五年一一月一日付け、米国政府よりマッカーサー司令官宛の基本指令で「台湾出身の中国人と朝鮮人は解放された人民として取り扱わなければならない。但し必要ある場合は敵国人として取り扱うことができる」というものであった。日本政府の出した勅令の中では「連合国人の犯した犯罪に対して日本政府の裁判権は否認されている」となっていた。即ち台湾人・朝鮮人の法的立場は連合国人として取り扱うべきか、日本人として取り扱うべきか、極めて曖昧な状態となった。そこで生まれたのが三国人という言葉であった。この曖昧な状況から彼らの中には連合国人であると主張し、不法行為をしても罪にならないと考えた人がいた。

  更に一一月一三日賠償問題の調査のために来日したボーレー調査団は、中間報告を提出した翌日の一二月八日、〈朝鮮の資源と人民を搾取する為に用いられた日本の工場・施設の内、如何なる部分を日本本土から移転して、朝鮮経済復興に資する事ができるかを研究されたい旨進言するつもりである〉と述べた。*1〈次いで四六年五月一一日、ボーレーはマッカーサーに手渡された書簡で、朝鮮も連合国である中国と同様、在朝鮮日本側施設を賠償として受け取るべきだと主張したという〉。*2

  この動向からすっかり朝鮮人は戦勝国として扱われると信じた。解放された共産党員を中心に一挙に不法行為が増加した。朝鮮人の犯罪動向を次々ページに示す。*3 一九四五年僅か一三六件だったものが、四六年五二一二件、四七年五六八一件と激増した。この結果、朝鮮人を野放しにする事の不合理を認識した連合軍は朝鮮人に対する日本政府の管轄権を次第に認め、四六年一一月二〇日、「在日朝鮮人はすべての正当な日本国内法令に服するべきである」とし、日本警察の断固とした取締を許容するようになった。

  しかし一旦火がついた不法行為はその後一年続いた。四八年になると米ソの対立が激化し、アメリカの対日政策が見直され、労働組合や、共産党に対し、抑圧の方向に転じた。それと共に朝鮮人の不法行為も急激に減少した。四八年は四七年の一〇分の一以下の三四九件、四九年一三〇件である。しかしこの頃は政治闘争化し、民族教育問題、北朝鮮国旗掲揚問題、南北朝鮮人間の抗争等に大量の人間が参加した。

(略)

・・・

戦後から日韓条約締結に至るまでの日韓関係に関する基礎資料としてテキスト化の追加をしました。
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