昭和20年の朝鮮半島って
投稿者: nishina3777 投稿日時: 2004/09/02 21:55 投稿番号: [1618 / 7270]
本土と比べればかなり平和であったようです。
朝鮮人の間では、朝鮮と違い多くの公私立学校があり、朝鮮人でも入学が容易でうまくすれば奨学金ももらえることが出来るということで本土「留学」を目指すことが多かったようです。
また現在の中国人留学生と一緒で本土は求人にあふれているのでお給金も良くて、お金が無くても働きながら学校に通うことが出来るというのも魅力だったようです。もちろん高収入目当ての朝鮮人も本土を目指しました。
また将来の就職を考えても、朝鮮の学校を出るよりも本土の学校を卒業した方が有利との考えも普及していたようで、朝鮮人間ではどこどこの学校だと朝鮮人でも入学できて飛行士になれるらしいとか、どこどこの学校では教員免許をとれるらしいとか情報を交換していました。
今度ドラマになる陳昌弦の「海峡を越えたバイオリン」によれば、日本人の恩師を尊敬していた彼は教員になることを目指し(父は警察署長になって欲しかった)、お金が無くても学校に通え、教員免許が取れると言う事で、昭和20年に博多に渡って仕事をしていた腹違いの兄を頼って渡日しました。
そのときに衝撃を受けたのは米軍による空襲と、戦争に疲れ果てた日本人の姿だそうです。朝鮮にいるときには戦争を身近には感じていなかったのです。
ちなみに本土が焦土と化しているとき、在支日本人の中にも緊迫感のない者が多くいました。祖母は大原近郊に住んでいましたが、敗戦まで全く平和で軍人たちの仕事は伎楼にあがることといっても過言でないほどだったそうです。
これは メッセージ 1616 (tell_me_honto_gou_2004 さん)への返信です.
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