>>昭和19年の朝鮮半島って
投稿者: usagigamemaimai 投稿日時: 2004/09/02 02:01 投稿番号: [1614 / 7270]
>>昭和19年の日本国民の思考とは思えません.
>当時でも、皇民としての意識や民度などは内地とまだまだ開きがあったように思います。
この「開き」についてなんですが、戦時下の「切迫感」の違いという見方はどうでしょう?
19年(もしかしたら20年に入ってたかも)の時点でも本州より物資が豊富との理由で
樺太に移る家族が連絡船の待合室にいたって話がありまして、ただ、「聞いてた」だけなんで、資料が・・・
で、19年の小樽の様子にこんなのがあるのですが。
http://home.g03.itscom.net/nvillage/frm-otarujigokuzaka-no-mokuji.htm#小樽地獄坂http://home.g03.itscom.net/nvillage/jigokuzaka-no-mokukji.htm
↓「第一巻」
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すでに東京の食糧事情は極度に悪くなっており、雑炊食堂に
行列をするというのに、小樽の街ではまだ寿司屋で握りが食べ
られた。樺太航路もある港には船があふれ、荷役の者や軍人等で
活気に溢れ、見るもの聞くもの、東京から来た私にとって新鮮で
あり、希望に満ちた毎日であった。
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「雑炊食堂に行列」の日常と「にぎり」の食える日常。
やっぱ食い物で「非常時」実感するのってリアルだなぁ。
(札幌は小樽より食料事情は悪かったけれど、食う物はあったそうです)
>中には同化しつつあったのもそれなりにいた・・・
大戦末期の昭和20年、大臣に切りかかった朝鮮系「憂国の士」がいたくらいには同化してたのではないでしょうか。
(講和推進派大臣の暗殺未遂事件があったそうなんですが、肝心の大臣の名前忘れちまって・・・ショボン)
これは メッセージ 1609 (tell_me_honto_gou_2004 さん)への返信です.
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