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諸民族興亡が繰り返された非中華世界の満州

投稿者: tell_me_honto_gou_2004 投稿日時: 2004/08/16 20:30 投稿番号: [1541 / 7270]
諸民族興亡が繰り返された非中華世界の満州

  日本の満州進出、そしてその結果としての満州国建国について、戦後、中国人や日本人は、中国の領土に対する日本の侵略行為と信じて疑わない。だが、満州は歴史的に見て中国の「領土」「版図」だったかといえば、それは違う。

唐代までの中国史には、北方の脅威としてしばしば匈奴(きょうど)、鮮卑(せんぴ)の名が登場する。いずれもモンゴル高原から大興安嶺(だいこうあんれい)のあたりを自由に行動していた民族だ。

匈奴はモンゴル高原で興った騎馬民族集団で、漢の時代には強大な匈奴帝国を作って、漢と抗争している。そして後に南北に分裂し、その後東方からやってきた鮮卑族にとって代わられた。鮮卑族は烏桓(うがん・烏丸)とともにモンゴル高原東端の大興安嶺から出た遊牧民族である。鮮卑は後に北魏(386〜534)を作った。6世紀末から7世紀初めにかけて中国を再統一した隋、唐は実は匈奴・鮮卑の流れを汲んだ王朝である。

他の北方の脅威としては突厥(とっけつ)がある。それは匈奴などとは違って西アルタイ山脈あたりからやってきた民族集団で、6世紀から8世紀にかけて、中央アジアから満州に至るまでの広大な遊牧帝国を築いていた。

これら諸民族に対して中国の史書は、西戎(せいじゅう)、北狄(ほくてき)などと総称し、種族名としては、匈奴、鮮卑、突厥、回コツ(ウイグル)、契丹、女真、蒙古などと記している。言語的にはほとんどがウラル・アルタイ語系であり、モンゴル系、トルコ系、ツングース系のおおよそ三系統に大別できる。

もちろん中国に脅威を与えてきたのはアルタイ語系の騎馬民族だけではなん。五胡十六国時代(302〜439)のテイ、吐蕃はチベット系で、羯(けつ)はペルシャ系ではないかと推測される。唐、宋の時代の吐蕃と西夏王国はチベット系である。

中国はこうした外敵の侵入を防ぐため、秦の始皇帝時代以前から万里の長城を築いた。長城は人類史上、最大の防壁として今日も威容を誇っているが、それは中国人が長い年月、構築、補修を繰り返してきたものだ。

そもそも中国とは城(城塞)の国で「国」自体、城壁の内側を意味する文字だ。城をもたない遊牧の民は、「行国」の民と呼ばれていた。万里の長城は、遊牧民と農耕民を隔絶する中国版のベルリンの壁であり、これを境に二つの世界は別々の歴史の歩みをしていたのである。

中華思想に基づけば、「天下は王土に非ざるものなし」となるが、その「天子」とは実質的には万里の長城以南の「関内」であり、それ以北は「関外」「塞外」と呼んで天下に属さない未開の別世界だった。

よって関外の地である満州は、中国人が今日主張するような「神聖なる絶対不可分の固有の領土」などではなく、かつての中国人からすれば絶対に交わりたくない世界であった。

少なくても日本が満州進出を果たすま日露戦争まで、この「関外」という認識は、漢民族の間では生きていた。日本の満州進出は、中国の領土に土足で踏み入ったものではなかったのである。関外は古来諸民族興亡の地であって、その歴史の流れの中で、19世紀にロシア人が進入し、そして20世紀に日本人が勢力を伸長していったということだ。

ただしこの両民族、ことに日本人は、折から昂揚した中国人のナショナリズムの攻撃ターゲットとなり、「侵略者」との烙印が押されることになった。

http://devs.data-room.info/bunken/serv.cgi?CHOICE=PAGE&ID=08401401410100100000000000003000

著者:黄文雄(こう・ぶんゆう)   底本:日本の植民地の真実   2003年11月20日   初版第2刷発行   発行所:扶桑社
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