三・一運動論2
投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2004/06/19 14:44 投稿番号: [1341 / 7270]
けれども、とにかく戦後の世界に於ては、或は秘密外交の制限ないし廃止とか、或は国際関係の支配が野心に燃ゆる少数政治家の手より国民の掌裡に移さるるとか、要するに道義の支配が漸を以て強力の支配に代らんとすべきは疑を容れない。面して今日〔パリ〕平和会議を中心として、各国の代表者がおのおのその国の歴史的立場に執着して、紛々たる利己的主張を闘わしつつある間に、同義的創造力の大底潮の汪洋として暫くもその歩を止めざるを見るは、大いに吾人の意を強うするものである。しかり、戦後の世界の形勢は、眼あるものには既に明白となった。この際にあたって吾人が対外的良心の発揮を同胞の国民に叫ぶのは、決して無用の事ではない。
二
我が国民は、由来政治問題に関する道徳的意識は甚だ鈍い。これ道義心が一般に鋭敏を欠くが為に非ず、政治と云う事が、国民にとって全く新しい現象にして、これに対する善悪の判断が未だ社会的に確定しないからであろう。たとい法律で罪悪と認めた事でも、社会が真にこれを罪悪として憎むに非ずんば、一般の国民はこれを犯してしかも恥ずるところを知らない。その例は、多くこれを選挙犯罪に観ることが出来る。僕の知人に、田舎の富豪より嫁を貰おうとしたものがある。父親の身許を調べると前科がある。媒酌人に向って、前科者の娘を世話することは不都合だと責めると、あれは選挙犯罪ですからと平然たるものであった。この類の事は、他にも多かろう。選挙犯罪なるが故に、特にその醜陋を憎むと云うようにならなければ、立憲政治の完成は期せられない。立憲政治になっても国民がこう云うよう
これは メッセージ 1340 (yusura_sdhk さん)への返信です.
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