満韓を視察して 66
投稿者: yusura_sdhk 投稿日時: 2004/06/13 13:14 投稿番号: [1255 / 7270]
自由に活動したいというのが、人間の奪うべからざる本能である。いかに行届いた世話を受けても、人の厄介には永く満足の出来るものではない。金殿玉楼の中に山海の珍味を以て侍ずかれた浦島太郎でも、久しからずして一竿の風月に一生を託した質朴なる昔の生活に憧れたではないか。これ皆人類自由の本能に因縁する。いかに満足を与えても、我等の本能は依然として自由を欲求する。況んや満足幸福の名目の下に、いくたの拘束、いくたの煩累を与うるに於てをや。
されば元来甲民族を乙民族が統治するというような事は、その本来の性質に於て、■般の民族心理と相容れざる道理のものである。殊に十九世紀以来は、一般に民族的観念が勃興して来て居るから、従来従順であった民族すら、近世に至って騒ぎ始めたものもある。かくして最近の歴史は民族の同化という事は極めて困難なるものである。否、同化という事は、言は易きに以て実は不可能なものであるまいかという考さえ現れて来て居る。もっともこの種の議論の現れて居るのは、主として共に相当の高い文明を有する在欧の各民族間の関係に付てであるが、しかし同様の現象は欧米諸国が亜細亜、阿弗利加に有する植民地に於ても全く起らぬではない。現に印度(インド)や埃及(エジプト)やは英国の統治の下にあれほどよく開発し、統治上には英国も随分骨を折って居るのに、土民間の独立的風潮はますます盛んになるではないか。非立賓(フィリピン)は米国の施政の下に頗る広汎なる自由を与えられて居るけれども、独立思想は依然として衰えない。米国では異民族の同化という事は不可能なものと諦めたのか、最近は非島に独立を賦与せんとして居る。向う二年ないし四年間に非島に独立を認許するの権能を大統領に附与するといういわゆるクラーク案は議会に容るる所とならざりしも、相当の時期に於てこれを許すというのであるから、独立を許すという主流は、
これは メッセージ 1253 (yusura_sdhk さん)への返信です.
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