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戯れに雑言

投稿者: nishina3777 投稿日時: 2004/05/09 01:30 投稿番号: [1106 / 7270]
  軍部は一枚岩の如く反動的であらねばならず、ブルジョア政党も総じて腐敗していたかのように戦前を描きたいから矛盾を生ずるのでしょう。この二つを「支配層」としてまとめてしまう○楠主義歴史学は無理があります。「皇道派」対「統制派」、「政友会」対「民政党」、「軍部」対「政党」と単純化して戦前の日本政治を見ようとするのは誤りでしょう。

  宇垣一成の日記(1935.4.30)にあるように政党、軍部とも派閥抗争があり離合集散していたのが現実です。
  「維新後、薩長土肥の争より、官僚−政党の争に、次に二大政党の対立になりたりしが、現在は、政党−軍部−官僚−左傾(左翼)−右傾(右翼)、尚進んで政友会の内争、民政党の提携非提携の抗争、軍部内派閥の闘争等と如何にも争が小キザミと成り来れり。」

  単独内閣を目指す「政友会総裁派」、官僚内閣に協力する「民政党主流派」、それらに対立し、軍中央の「宇垣派」と連携を模索する「政友会政民連携派」と「民政党民政連携派」、親軍内閣成立を目指した「荒木・真崎派」、その荒木・真崎を旗印にして、国家社会主義体制を樹立させたい「ファッショ派(政治化した軍人、民間右翼、北一輝影響下の陸軍将校)」、さらにそれを利用して農本的共産主義社会を夢見た「ファッショ派(政治化した軍人、民間右翼、権藤成卿の影響下の海軍将校、血盟団)」、軍官僚による統制された戦争国家を目指した「永田派」などなど・・・

  最終的に、政友会+陸軍荒木・真崎派+右翼   対   民政党+新官僚(内務省)+陸軍永田派+左翼(社会大衆党)といった構図になりますが、前者は全般的に保守的な利権構造を持つフランコ風親軍右翼政権を目指し(下部の青年将校・北一輝らはナチス風国家社会主義政権樹立を目指す)、後者(真崎は永田らのことを国家社会主義者と罵っていた)はソ連風統制国家を目指したといったら言い過ぎだろうか?
  当時の世界的な政治的潮流の「ファシズム」と「コミュニズム」に日本も乗りかけたとしても仕方がないだろう。幸いにもうまくいかなかったが。

  1935年に民政党・統制派・新官僚・社大党は「立憲独裁」のために国策統合機関として「内閣審議会」と「内閣調査局」を設置に成功、危機感を抱いた政友会保守派・皇道派・右翼は天皇機関説批判を展開し平沼内閣樹立を目論んだが、政友会は1936年2月20日の選挙に大敗、6日後の2.26事件では勃発したクーデターを利用して巻き返そうとした荒木・真崎らが逆に影響力を失うという結果に終わった。
  少数野党から最大与党となった民政党や社会大衆党は議会の役割を減ずる立憲独裁にこだわる理由がなくなり、一方軍部革新派は石原莞爾を中心に重要産業5カ年計画を作成、軍中心の統制経済への移行を目指した。ここに共闘してきた軍部革新派と民政党の対立が顕著になった。しかし、国民の反軍気運に乗って躍進していた社会大衆党のトップの中にはこの石原構想に近いものたちがいたことが問題を複雑にする。
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