[オピニオン]荒城の古跡
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2009/04/02 16:17 投稿番号: [1017 / 3880]
>1930年代、新派劇が大衆の娯楽として大きな人気を博した。
はあ! ニテーイは、新派なんて堕落した娯楽をウリミンジョクに押し付けていたんですね!
いやあ、反省します!(爆)
>田舎から上京した人たちは、演劇を見てこそ、ソウルを見物したと言われた時代だった。
ストップ。
ニテーイ時代は、「上京」とはイルボンの東京へ行く事を指していました。
だから、この言葉はウソなのです。
>「荒城の古跡が夜に見舞われ、月だけが静かである/廃墟に立ち込めている気持ちを物語っているのに…」。3節からなる歌が、哀調を帯び広まると、観客らの目頭が熱くなっていった。ある人は地団太を踏んだ。歌は口コミで1932年、「荒城の跡」というタイトルでレコード発売された。
ほぉ。
「春高楼の花の宴〜めぐる杯〜影さして〜♪」(土井晩翠作詞)に酷似してますなあ。(笑)
>チョン氏は、「日本植民地時代を栄華を謳歌した昔と比較、回想しながら宿舎へと帰った。翌日降る雨を眺めながら、楽想が思い浮かんで作曲した」と回想している。
いやあ、ウリは反省します!w
ニテーイの残虐で、新派劇なんかを許可するような悪政より、「栄華を謳歌した」高麗時代に戻りたかったんだね。(笑)
いや、そんな高麗だなんて昔じゃなくても、1910年以前の李朝時代でもいいぞ。ほら、北の同胞の国、あんな感じだから。(笑)
>日本帝国は「朝鮮民族の自覚を扇動する恐れがある」という理由で、同曲を禁じたが、発売当時22歳だった李エリスは、「民族の恋人」と呼ばれ、一躍スターとなった。韓国初の人気歌手だった。
↑この表現でも分かる。
朝鮮人は、犬畜生と同じで、一回ウマいものを食わせると、際限なくもっとウマいものをせがみ続けるわけだ。
生半可にいっちょまえの権利なんてものをやっちゃいけなかったわけだ。
だから、やはり宗主国サマや、金正日式の統治方法が、いちばん朝鮮人には合っているんだよ。
つうか、ワシも、日本による朝鮮支配は間違いだったと思ってるがね(天下の大損だったから)。まあそれは、今だから言える事であって、当時はロシアの脅威が切実だったんだろうしね。日本も。
ttp://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2009040222658
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/b3a1a6a4ja4bc4z9qbfma4ol1eya4acdca4a4a4na4aba1a9_1/1017.html