また世迷い言
投稿者: jgeilsbandfreak 投稿日時: 2012/11/02 12:58 投稿番号: [1044 / 1105]
記事入力 : 2012/11/02 11:12
純金高麗仏画、文化遺産として高い価値
山梨の寺で発見、1359年の制作記録を確認
現在残っている高麗仏画は約160点、8割は日本に
高麗・恭愍(コンミン)王の時代の仏画「阿弥陀三尊図」の一部。写真は観音菩薩の足元を拡大した様子。繊細かつ華麗なラインで模様や衣服のしわが描かれている。
高麗青磁と並び芸術的価値が非常に高い文化遺産と評価されている高麗仏画は、現在では世界に160点ほどしか残っていない。韓国国内には10点余りしかなく、日本の寺や博物館、収集家が全体の80%を超える約130点を所蔵している。このような状態になってしまった理由は何なのか。
日本の寺は、高麗の高い仏教文化をうらやみ、高麗仏画を所蔵したがった。このため高麗仏画は、高麗末期から朝鮮王朝時代初期にかけて、倭寇(わこう)の略奪の対象になった。朝鮮王朝時代に入ってからも、外交目的や交易品として、多くの高麗仏画が玄界灘を渡った。朝鮮は当時、廃仏政策を取っており、仏教遺物を重要とは考えなかった。そのため韓国国内には、1970年代後半まで高麗仏画が1点も残っていなかった。
今年6月に鄭宇沢(チョン・ウテク)東国大学教授が山梨県のある寺を訪れたのは、朝鮮王朝前期の仏画を調査するためだった。意外な収穫となった「阿弥陀(あみだ)三尊図」は、法堂の仏像後方のガラスケース内にあった。寺の住職に頼んで施錠されたガラスケースを開けてもらうと、制作時期を記した「画記」を探すために懐中電灯で上下を照らした。
住職に事情を話し、仏画をひとまず外に出した。勢志菩薩(ぼさつ)の足の下に、かすかに年度のようなものが見えた。ドイツ製の中型カメラで撮影した後、コンピューターで拡大し、肉眼では見えなかった「画記」を判読した。そこには「至正19(1359)年9月に比丘(びく)何如(ハヨ)など6人が布施をして仏画を作った」と書かれていた。群青色の絹に純金で描かれた高麗仏画を発見した瞬間だった。これまで仏画を調査・撮影してきた日本の出版社はもちろん、絵を所蔵していた寺も全く知らない事実だった。金泥だけで線を描く「金線描仏画」は、通常の仏画よりも高い技術を必要とする。
画記があって制作年代が明確に分かる高麗仏画は、これまでに13点見つかっており、最も新しいものは1350年の作品だった。1359年に描かれた「阿弥陀三尊図」には、高麗仏画特有の唐草円形紋をはじめ、円形紋だけでも7種類あり、蓮花(れんげ)唐草・牡丹(ぼたん)唐草など各種の唐草紋や波模様、花模様など高麗仏画としては最も多くの模様が描かれている。鄭教授は「さまざまな模様を使っているが、誇張されておらず、互いにうまく釣り合い、ぎこちなさや不快感もなく調和が取れている」と評価した。
鄭宇沢教授は、10日に国立中央博物館で開かれる東岳美術史学会定期学術発表会で阿弥陀三尊図を紹介する。
金基哲(キム・ギチョル)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
馬鹿もここまで来ると汚穢わ。
純金高麗仏画、文化遺産として高い価値
山梨の寺で発見、1359年の制作記録を確認
現在残っている高麗仏画は約160点、8割は日本に
高麗・恭愍(コンミン)王の時代の仏画「阿弥陀三尊図」の一部。写真は観音菩薩の足元を拡大した様子。繊細かつ華麗なラインで模様や衣服のしわが描かれている。
高麗青磁と並び芸術的価値が非常に高い文化遺産と評価されている高麗仏画は、現在では世界に160点ほどしか残っていない。韓国国内には10点余りしかなく、日本の寺や博物館、収集家が全体の80%を超える約130点を所蔵している。このような状態になってしまった理由は何なのか。
日本の寺は、高麗の高い仏教文化をうらやみ、高麗仏画を所蔵したがった。このため高麗仏画は、高麗末期から朝鮮王朝時代初期にかけて、倭寇(わこう)の略奪の対象になった。朝鮮王朝時代に入ってからも、外交目的や交易品として、多くの高麗仏画が玄界灘を渡った。朝鮮は当時、廃仏政策を取っており、仏教遺物を重要とは考えなかった。そのため韓国国内には、1970年代後半まで高麗仏画が1点も残っていなかった。
今年6月に鄭宇沢(チョン・ウテク)東国大学教授が山梨県のある寺を訪れたのは、朝鮮王朝前期の仏画を調査するためだった。意外な収穫となった「阿弥陀(あみだ)三尊図」は、法堂の仏像後方のガラスケース内にあった。寺の住職に頼んで施錠されたガラスケースを開けてもらうと、制作時期を記した「画記」を探すために懐中電灯で上下を照らした。
住職に事情を話し、仏画をひとまず外に出した。勢志菩薩(ぼさつ)の足の下に、かすかに年度のようなものが見えた。ドイツ製の中型カメラで撮影した後、コンピューターで拡大し、肉眼では見えなかった「画記」を判読した。そこには「至正19(1359)年9月に比丘(びく)何如(ハヨ)など6人が布施をして仏画を作った」と書かれていた。群青色の絹に純金で描かれた高麗仏画を発見した瞬間だった。これまで仏画を調査・撮影してきた日本の出版社はもちろん、絵を所蔵していた寺も全く知らない事実だった。金泥だけで線を描く「金線描仏画」は、通常の仏画よりも高い技術を必要とする。
画記があって制作年代が明確に分かる高麗仏画は、これまでに13点見つかっており、最も新しいものは1350年の作品だった。1359年に描かれた「阿弥陀三尊図」には、高麗仏画特有の唐草円形紋をはじめ、円形紋だけでも7種類あり、蓮花(れんげ)唐草・牡丹(ぼたん)唐草など各種の唐草紋や波模様、花模様など高麗仏画としては最も多くの模様が描かれている。鄭教授は「さまざまな模様を使っているが、誇張されておらず、互いにうまく釣り合い、ぎこちなさや不快感もなく調和が取れている」と評価した。
鄭宇沢教授は、10日に国立中央博物館で開かれる東岳美術史学会定期学術発表会で阿弥陀三尊図を紹介する。
金基哲(キム・ギチョル)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
馬鹿もここまで来ると汚穢わ。
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a5qa5afa5je79q_1/1044.html