混血の少女ミイ
投稿者: jalopy2005 投稿日時: 2012/01/07 23:45 投稿番号: [2260 / 2437]
ホテルの玄関の前に毎朝かならずやってくる少女がいた。腰で支えた小さなザルに、袋入りのピーナツがいくつも載っている。そして、少女が米兵との混血児(コンライ)であるということは、誰にもひと目でわかってしまう。瞳がかすかに碧いのだ。
ホーチミン市のクーロン(九竜=メコン川のこと)・ホテルは、以前はマジェスティクと呼ばれた高級ホテルだった。解放後もその風格は残していて、外国人客の宿泊が多い。私が地方での取材を終え、汗と泥にまみれてホーチミンヘ戻ってきた時でも、たいていは、その子がホテルの前にたたずんでいるのだった。
「名前はなんていうの?」
「ミイ(美=アメリカの意)よ。みんながそう呼ぶの。ひと袋買ってね」
「お父さんは?」
「知らない。でも名前は“マイケル”だって聞いてるわ。お母さんから」
一〇歳を越えたばかりのミイは、話しながら私の手にピーナツを押しこむ。
「一ドンちょうだい」
ひと袋に一五粒ほどしか入っていない皮つきピーナツは塩の味が強い。一日に四〇袋も売れないと商売にならないという。
毎日ひと袋ずつ、かならずミイから買うよ、と私は約束した。幼いミイの、そばかすだらけの顔に出会わないと、その後の私は落ちつかぬ思いさえするようになった。
ドンコイ通りの北端にあるサイゴン大教会では、クリスマスを前にした飾りつけが進んでいた。イヴになると一〇〇万ともいわれる人びとが街にくり出して、夜更けまでそぞろ歩く。かつてベトナムで戦った米兵たち四名が、アメリカの帰還兵団休VVA(復員軍人協会)の代表としてホーチミン市にやって来だのは、ちょうどその頃のことだった。
いつものようにホテルの前にいたミイは、それを知って顔を輝かせた。彼女は妹のリイも弟のタイも連れて、玄関前で待つようにたった。「何故かはわからぬがアメリカ人がまた来ている」――そんなうわさがミイたちの口から街に流れたようだった。ホテルの前に立つ混血の子どもたちの数が増える。
あるとき、ミイは、このアメリカ人たちと口をきくことについに成功する。ほとんど忘れかけていた英語が彼らの会話を立ち間きしているうちに突然スラスラと出るようになったらしい。
「私のお父さんはマイケルよ、誰か知らない?!」
ミイは、見上げるようにしながらひとりの男に話しかけた。彼は目を丸くしながら、いたずらそうな顔付きで後の仲間をふり返った。
「お前だろう!」
「いや、俺じゃない。とんでもないよ」
彼の名も、マイケルだった。マイケルは仲間たちにからかわれ続けながらも、ミイの前にすわり、手をとってやさしく話しかけた。ミイはマイケルからガムをもらって、充分に満足したようだった。
行方不明アメリカ兵の調査と枯葉剤の被害調査を目的にやってきた彼らのホーチミン市滞在は短かった。
二目めの朝、空港へ向かう一行がホテルの前に用意されたマイクロバスにのりこんだときだった。ミイたちの兄妹が遠くから走ってくる姿がみえた。子どもたちはバスをとりまいて、口ぐちに何かを叫んだ。マイケルたちは窓をあけて手を伸ばした。子どもたちはバスのボディをバンバンとたたきながら、アメリカ人たちの手にすがった。車内から、両手いっぱいのガムがさし出されてくる。車はゆっくりと動き出す。子どもたちも走る。車は
加速をつけて走り去った。ミイもタイもリイも、手にガムを握りしめたまま、車の去った方角を見つめて立っていた。
いちばん年下のリイの目に大粒の涙がうかぶ。リイは手の中のガムを抛り出し、声をあげて泣きはじめた。長女のミイだけは濡れた目を見開いたまま、こらえていた。
誰もが胸をしめつけられる思いでいながら、誰にも何もできないという虚しさだけがあった。それが人びとの心をいっそう重いものにしたようだった。
リイはいつまでも泣くのをやめようとはしなかった。
ベトナムの戦争孤児は七〇万人。アメリカ兵、オーストラリア兵、韓国兵などが遺した混血児は二〇万人ともいわれている。
石原チン太郎が、今年の芥川賞の候補作はバカみたいなもんばっかりだと
ぬかしておったが、この文は「太陽の季節」のような糞に比べたら、
100億倍以上に優れたものである。
ホーチミン市のクーロン(九竜=メコン川のこと)・ホテルは、以前はマジェスティクと呼ばれた高級ホテルだった。解放後もその風格は残していて、外国人客の宿泊が多い。私が地方での取材を終え、汗と泥にまみれてホーチミンヘ戻ってきた時でも、たいていは、その子がホテルの前にたたずんでいるのだった。
「名前はなんていうの?」
「ミイ(美=アメリカの意)よ。みんながそう呼ぶの。ひと袋買ってね」
「お父さんは?」
「知らない。でも名前は“マイケル”だって聞いてるわ。お母さんから」
一〇歳を越えたばかりのミイは、話しながら私の手にピーナツを押しこむ。
「一ドンちょうだい」
ひと袋に一五粒ほどしか入っていない皮つきピーナツは塩の味が強い。一日に四〇袋も売れないと商売にならないという。
毎日ひと袋ずつ、かならずミイから買うよ、と私は約束した。幼いミイの、そばかすだらけの顔に出会わないと、その後の私は落ちつかぬ思いさえするようになった。
ドンコイ通りの北端にあるサイゴン大教会では、クリスマスを前にした飾りつけが進んでいた。イヴになると一〇〇万ともいわれる人びとが街にくり出して、夜更けまでそぞろ歩く。かつてベトナムで戦った米兵たち四名が、アメリカの帰還兵団休VVA(復員軍人協会)の代表としてホーチミン市にやって来だのは、ちょうどその頃のことだった。
いつものようにホテルの前にいたミイは、それを知って顔を輝かせた。彼女は妹のリイも弟のタイも連れて、玄関前で待つようにたった。「何故かはわからぬがアメリカ人がまた来ている」――そんなうわさがミイたちの口から街に流れたようだった。ホテルの前に立つ混血の子どもたちの数が増える。
あるとき、ミイは、このアメリカ人たちと口をきくことについに成功する。ほとんど忘れかけていた英語が彼らの会話を立ち間きしているうちに突然スラスラと出るようになったらしい。
「私のお父さんはマイケルよ、誰か知らない?!」
ミイは、見上げるようにしながらひとりの男に話しかけた。彼は目を丸くしながら、いたずらそうな顔付きで後の仲間をふり返った。
「お前だろう!」
「いや、俺じゃない。とんでもないよ」
彼の名も、マイケルだった。マイケルは仲間たちにからかわれ続けながらも、ミイの前にすわり、手をとってやさしく話しかけた。ミイはマイケルからガムをもらって、充分に満足したようだった。
行方不明アメリカ兵の調査と枯葉剤の被害調査を目的にやってきた彼らのホーチミン市滞在は短かった。
二目めの朝、空港へ向かう一行がホテルの前に用意されたマイクロバスにのりこんだときだった。ミイたちの兄妹が遠くから走ってくる姿がみえた。子どもたちはバスをとりまいて、口ぐちに何かを叫んだ。マイケルたちは窓をあけて手を伸ばした。子どもたちはバスのボディをバンバンとたたきながら、アメリカ人たちの手にすがった。車内から、両手いっぱいのガムがさし出されてくる。車はゆっくりと動き出す。子どもたちも走る。車は
加速をつけて走り去った。ミイもタイもリイも、手にガムを握りしめたまま、車の去った方角を見つめて立っていた。
いちばん年下のリイの目に大粒の涙がうかぶ。リイは手の中のガムを抛り出し、声をあげて泣きはじめた。長女のミイだけは濡れた目を見開いたまま、こらえていた。
誰もが胸をしめつけられる思いでいながら、誰にも何もできないという虚しさだけがあった。それが人びとの心をいっそう重いものにしたようだった。
リイはいつまでも泣くのをやめようとはしなかった。
ベトナムの戦争孤児は七〇万人。アメリカ兵、オーストラリア兵、韓国兵などが遺した混血児は二〇万人ともいわれている。
石原チン太郎が、今年の芥川賞の候補作はバカみたいなもんばっかりだと
ぬかしておったが、この文は「太陽の季節」のような糞に比べたら、
100億倍以上に優れたものである。
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