福沢諭吉は何故、韓国に愛想が尽きたか。
投稿者: infomation_delivery 投稿日時: 2001/08/05 22:30 投稿番号: [9768 / 35788]
日本に亡命した金玉均は、福沢の支援を受けながらも刺客を避けるため、小笠原、北海道を転々とした。しかし、明治二十七年三月、騙されて上海に誘い出され,そこで暗殺された。福沢は彼の最後を悲しみ、同年四月に彼の位牌を作って自宅に安置し、供養したいからと真浄寺の往職に頼み、法要の連絡を取っている。
一方、金玉均の遺族を全ての朝鮮の同志が面倒を見ないのを知って、福沢は「実に実に呆れ果てたり。事小なりと雖も斯かる腰抜けどもの棲息にしては、亡国も固より其の処なり」と朝鮮の知人に手紙を送っている。
名越二荒之助著
「日韓2000年の真実」より
このようなことがあった後、福沢諭吉は
「悪友と親しむ者は共に悪名を免れることはできない。我は心に於いて亜細亜東方の悪友と絶交する。」
と、断言する。
これは メッセージ 9766 (minorixx さん)への返信です.
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