ますますドツボにはまるバカJ
投稿者: Televicco 投稿日時: 2001/07/24 15:45 投稿番号: [9060 / 35788]
>非難するのは、自由だろうけど、非難するのなら、それなりに根拠を示すのが、教養のある日本人の姿だと思うのだが、、君は教養のない日本人なのかね。ま、野蛮人ってことかね?
私は大変に教養のある日本じんなので、根拠を示してあげましょう。
韓国の小学校で使っている教科書の訳だよ。よく読んでちょ。
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(3) わが民族の海外活動
私たちは現在、世界のあちこちの進出し、民族の名声を高めている。このような海外進出は遠い昔から現在まで、祖先の魂がいたるところで受け継がれてきたため、できることなのである。わが民族は早くから中国、日本、ひいては西域まで進出し、その名声を轟かせた。わが祖先が海外に進出し名声を轟かせたようすをくわしく理解しよう。
1.曇徴と王仁
三国時代に先祖たちが日本に渡り活動したようすについて理解しよう。
高句麗、百済、新羅は、中国から仏教と学問を受け入れ、文化を大きく発展させた。学校を建て、歴史書をつくり、全国各地に大きな寺院を建てた。先祖たちは発達した文化を、再度、隣の日本にも伝達した。多くの人々が日本に文化を伝える仕事に力を尽くしたが、その中でも曇徴と王仁の活動が光った。曇徴は、高句麗の僧侶として日本に渡り、本や工芸品など伝え、紙、筆、墨、染料、石臼などを作る方法をおしえた。曇徴は、絵にも秀でた才能を身に付けていた。日本の昔の都である奈良の近くにある法隆寺という寺には曇徴が描いた金堂壁画が伝わっていたが、仏紀1948年に消失した。この壁画は、とても秀でた東洋3大美術品のひとつとして知られていた。一方、王仁は百済の学者として千字文、論語などの本を日本に伝えた。彼はそこに長く留まり、日本の天皇と太子の師匠になり、学問を教えもした。そうすることによって、日本の人々に初めて学問と儒学を理解させたのである。このため、日本では、今でも王仁を高く敬っている。また、新羅の文化も日本に伝わり、その学問、技術、芸術などさまざまな方面に大きな影響をあたえた。今でも日本のあちこちには、三国が伝えた文化のなごりがたくさん残っている。
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さ、今度は君の番だよ。トルコの話を捏造と決め付けた根拠、頼むよ。
教養ないから無理かね、君には。
これは メッセージ 9054 (bakajaps さん)への返信です.
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