Japanese generosity の間違いだね
投稿者: shinkuuboakagi 投稿日時: 2001/05/12 01:55 投稿番号: [4354 / 35788]
atrocityではなく。
こんなもの張り付けても屁とも思わないね。
朝鮮半島経略とオランダのインドネシア支配を比較しよう。
19世紀末から20世紀初頭のアチェ戦争でオランダは数十万人のインドネシア人を
殺す。村々の人間をひとつおきに皆殺しにする。オランダの植民地支配に逆らえばこうなると教えるために。
皆殺しにしたインドネシア人の死体の山を前に記念撮影するオランダ軍(このシーンは独立運動の女性闘士を描いたチュッ・ニャ・ディンという映画でもでもでてくる)。
バリ島のいくつかのププタン事件といわれるものでオランダは数千人をひとつの場所で殺した。
そのうちのひとつの1906年のバドゥンでのできごと。
「突然領主は頭をあげ、クリス(短剣)を引き抜きそれに太陽があたってきらめいた。次の瞬間彼ら(領主とバリ人たち)はクリスを手にオランダ兵に向かって突進してきた。射て!と隊長が叫んだ。
「砲火と銃火が彼らをなぎたおした。領主がまっさきに倒れた。残ったものはその屍を踏み越え猛烈に駆け抜き、かれらが倒れるとさらにまた続いた。死傷者が王宮とオランダ軍のあいたに山と積み重なった。そのあいだにも門口はあとからあとから人をはきだした。みなクリスを手に持ち、黄金と花を頭にいただいて飾りたてていた。
「男達の後には女子供がつづいた。少年まで、髪に花を挿した少女まで、胸に幼児を抱いた母親まで、白髪の奴隷の老婆までが続々とでてきた。王の夫人達は宝石、貴金属をちぎって、その大きな無意識の目にさげすみの表情を浮かべて、兵士になげつけた。
1908年のクルンクンにおけるププタン事件。
「戦闘は早朝から日没まで激烈に継続された。精鋭な武器を持つオランダ軍に対抗すべくもないことを知った王は玉砕することを決心した。敵軍が王宮にせまったときその家族、忠誠なる従者数千人とともに高貴なる最後をとげた。
同じようなことは1894年にとなりのロンボク島でもおきている。やはりオランダの支配に反対するもの達を皆殺しにした。
反対するものは総て皆殺しにする。これを植民地主義というんだよ。イギリスもインドでは似たようなことをやった。日本はやさしすぎた。
これは メッセージ 4350 (baekhyme さん)への返信です.
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