なぜ日本人は、嫌われるのか?

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天津条約。

投稿者: bakajaps 投稿日時: 2001/05/11 10:43 投稿番号: [4235 / 35788]
君の言う通り。

>完全に条約違反でしょうが。それで、日本も韓半島に出兵したのよ。その後、甲午軍乱が収まっても「仍即チ撤回シ」なかったのね、だから日本も韓半島に留まったわけよ。なんで日本が一方的に責められなければならない?条約破りは先に清国がやったんだよ。国際的な決まりごと破っておいて、戦争する気がなかった、なんて誰が信じるか。

また、正当化。


1894年2月15日東学党農民蜂起
      5月31日東学党軍のチンジュ占領
      6月   2日日本は清国からの通知がある前に既に派兵を決定。任午軍乱、甲申政変の失敗を挽回するため、清国軍の2倍の兵力を派遣することを決定。
      6月   4日   朝鮮朝廷、清国に援兵を要請、日本陸軍は大本営を設置し、動員令を下す。
      6月   6日   清国は派兵を決定し、天津条約に従い、日本に派兵を知らせる。
      6月   8日   清軍900人が牙山湾に上陸。
      6月12日   清軍1,500人が牙山湾に上陸
      6月15日   日本内閣は朝鮮の事態が例え平和的に妥結しても、二度と同じ事が繰り返さないように、根本的な解決が必要だという口実から、朝鮮の内政改革を強要、清国に知らせ彼らと共同で朝鮮改革を主導することを提案。万が一清が拒絶すると日本単独でも推進し、清国との協議が終わるまで朝鮮から日本軍を撤退させないことを決定。
      6月16日   日本は清国にこれを通報。7−8千人の軍隊を仁川に上陸。

      6月21日   清国は日本の提案を拒絶
      6月23日   日本政府は日本単独でも朝鮮の内政改革を強行する旨を日本公使に知らせる。
      7月   3日   オオトリ公使は朝鮮政府に所謂改革案を提示し、朝鮮代表と会議を重ねる。その間日本は列強の動きをみながら、特にイギリスの協力をえることに力を注ぎ、イギリスの了解を得る。
      7月17日   御前会議で開戦を決定。朝鮮政府に最後の旨を通報。
      7月23日日本軍隊は王宮を占領し、朝鮮軍隊の武装解除を断行し、親日政権を誕生させる。
      7月25日   清日両国間の戦争開始。


以上から見ると、日本は最初から清との戦争を念頭に置いて、朝鮮への出兵を決めたことがわかる。また、清とは違うのは、清軍が牙山湾に上陸して、東学党軍の鎮圧のために出兵したことに対して、日本軍は仁川に上陸、ソウルを狙って出兵したことの違いがわかる。また、その軍隊の規模。何倍も多い軍隊を出兵させたわけはなんだろう?それから王宮の占領。

どうみても天津条約云々しても、清日戦争は日本によるしかけだって事が否定できない。
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