インドネシア独立に命を懸けた元日本人兵
投稿者: VO2_Max_007 投稿日時: 2001/04/27 10:01 投稿番号: [3606 / 35788]
長くなりますがこぴぺします。嘘かどうかは読んでみて判断して下さい
■1.カリバタ国立英雄墓地に祀られた日本人■
ジャカルタ郊外のカリバタ国立英雄墓地は、日本軍降伏後、4年5ヶ月におよんだイギリス、オランダとの独立戦争で、特別な功労を立てて戦死した人々が祀られている。この中に11名の日本人が一緒に手厚く葬られている。[1]
1945年8月15日の日本軍降伏後も現地に残留して、インドネシア 独立義勇軍に身を投じた人々は、1〜2千人程度と推定されている。そのうち、400名程度が戦死され、そのうちの32名が各地区の英雄墓地に祀られている。また独立50周年となった平成7年、残留日本兵69名に対し、渡辺インドネシア大使から感謝状が贈られ、スハルト大統領は官邸に招いて、お礼を述べられた。[2,p109、3]
これらの人は、何を思って、異国の地に留まったのだろうか。
■2.独立への願い■
インドネシアがオランダの植民地となったのは、1605年、それ以来、3世紀半にわたって、人口わずか0.5%のオランダ人が全生産額の65%を独占するという収奪が続く。
1905年に、日本がロシアを破ったことは、アジア人もまた
西洋をうち負かすことができるほど強くなれるという信念を強化させた。それ以降、インドネシア人は、大国として発展する日本にいっそうの注目をそそぎはじめた。(インドネシアの歴史家サヌシ・パネ、[4,p242])
独立を願う民衆の間には、いつしか、「いつか北から同じ人種がやってきて、とうもろこしが芽を出して実をつけるまでに(約3ヶ月半)インドネシア人を救ってくれる」という予言が生まれた。
■3.独立を戦いとれる実力を■
その予言は、1942年3月1日に現実のものとなった。今村均中将率いる第16軍は、総兵力5万5千をもって、ジャワ上陸を敢行した。攻略は上陸後3ヶ月を要するだろうと予想されていたが、わずか10日後には、オランダ軍司令官は全面降伏した。予言を信じた現地人が、オランダ軍が築いたバリケードなどの邪魔物を取り除くなど、積極的に日本軍の進撃を助けたからだ。
独立運動の指導者スカルノ、ハッタの情熱に感銘を受けた今村中将は、次のように言って、彼らを支援した。
「独立というものは、与えられるものではなく、つねに戦い取るべきものだ。かれらが戦い取ることのできる実力を養ってやるのが、われわれの仕事だ、、、」[4,p263]
それから、独立国への準備が始まった。300近い言語をインドネシア語に統一する、州の長官、副長官などに現地人を登用し、州や市の参議会を作って、行政や議会運営を習得させる、さらにインドネシア義勇軍を編成し、3万5千もの将校、兵士を育成した。これらの人々が後の独立戦争の主役となって
■1.カリバタ国立英雄墓地に祀られた日本人■
ジャカルタ郊外のカリバタ国立英雄墓地は、日本軍降伏後、4年5ヶ月におよんだイギリス、オランダとの独立戦争で、特別な功労を立てて戦死した人々が祀られている。この中に11名の日本人が一緒に手厚く葬られている。[1]
1945年8月15日の日本軍降伏後も現地に残留して、インドネシア 独立義勇軍に身を投じた人々は、1〜2千人程度と推定されている。そのうち、400名程度が戦死され、そのうちの32名が各地区の英雄墓地に祀られている。また独立50周年となった平成7年、残留日本兵69名に対し、渡辺インドネシア大使から感謝状が贈られ、スハルト大統領は官邸に招いて、お礼を述べられた。[2,p109、3]
これらの人は、何を思って、異国の地に留まったのだろうか。
■2.独立への願い■
インドネシアがオランダの植民地となったのは、1605年、それ以来、3世紀半にわたって、人口わずか0.5%のオランダ人が全生産額の65%を独占するという収奪が続く。
1905年に、日本がロシアを破ったことは、アジア人もまた
西洋をうち負かすことができるほど強くなれるという信念を強化させた。それ以降、インドネシア人は、大国として発展する日本にいっそうの注目をそそぎはじめた。(インドネシアの歴史家サヌシ・パネ、[4,p242])
独立を願う民衆の間には、いつしか、「いつか北から同じ人種がやってきて、とうもろこしが芽を出して実をつけるまでに(約3ヶ月半)インドネシア人を救ってくれる」という予言が生まれた。
■3.独立を戦いとれる実力を■
その予言は、1942年3月1日に現実のものとなった。今村均中将率いる第16軍は、総兵力5万5千をもって、ジャワ上陸を敢行した。攻略は上陸後3ヶ月を要するだろうと予想されていたが、わずか10日後には、オランダ軍司令官は全面降伏した。予言を信じた現地人が、オランダ軍が築いたバリケードなどの邪魔物を取り除くなど、積極的に日本軍の進撃を助けたからだ。
独立運動の指導者スカルノ、ハッタの情熱に感銘を受けた今村中将は、次のように言って、彼らを支援した。
「独立というものは、与えられるものではなく、つねに戦い取るべきものだ。かれらが戦い取ることのできる実力を養ってやるのが、われわれの仕事だ、、、」[4,p263]
それから、独立国への準備が始まった。300近い言語をインドネシア語に統一する、州の長官、副長官などに現地人を登用し、州や市の参議会を作って、行政や議会運営を習得させる、さらにインドネシア義勇軍を編成し、3万5千もの将校、兵士を育成した。これらの人々が後の独立戦争の主役となって
これは メッセージ 3601 (bakajaps さん)への返信です.