Re: サル顔の倭寇らに贈り物w
投稿者: samurai_06_japan 投稿日時: 2008/03/02 21:15 投稿番号: [35150 / 35788]
>韓国は高麗時代に既に「国子監」という国立大学があった。
>朝鮮時代には「成均館」があったし。
「国子監」は、中国隋代に始まった「『本家』国子監」のパクリだけど。
「成均館」は、朝鮮版「国子監」が李朝の時に名前を変えたもんだが。
その実態は、小科(科挙の過程)の合格者のみが入ることを許可されたもんだよな。
大科(科挙の上級過程)合格まで、衣食住只で、土地と奴婢まで国から支給されて。
で、結局は政治に口出しするようになって、結局は「政争予備軍」にしかならなかった、と・・・
日本の場合、江戸幕府の最高学府は「昌平坂学問所(湯島聖堂)」
各藩には、藩士子弟の高等教育機関である「藩校」
寛政年間〜天保年間には、藩校は255校。(昌平坂学問所は、当然ながら1校)
民間の学者が主催する「私塾」は、1321校を数えたが。
「寺子屋」になると、江戸府内でも1500校を越していたから。
*日本全土、となると、把握できない数らしいぞ。
内容も、昌平坂学問所・藩校は、儒学が中心だが。
私塾は儒学(朱子学、陽明学、古義学、考証学など)、漢学、国学各学派、洋学・蘭学(医学、語学、自然科学など)、理科学(和算、天文・暦法、本草学、医学)など幅広い。
武家も、儒学だけでなく、蘭学・洋学、国学などの遊学に出向いたし。
庶民でも様々に、自由に学問を学べたがね。
いずれも、純粋に「学問の研究・研鑽」の場所だったから、国家(幕府や藩)から、金も土地も奴婢(江戸期には、純粋に奴婢の様な者は居なかった打)も支給はされず。
学生は自費が大半で、それでも「貧乏学生」なりに、自由に学問していたようだがね。
間違っても、「政治に介入、政争の要因」にはなっていなかったなぁ。
そもそも、「学問の府」ってのは、自由に学問を「研究・研鑽」するところなんじゃないのかねぇ?(笑)
そうそう、ついでに言えば、当時の日本の最高学府「湯島聖堂(昌平坂学問所)」は、武士階級だけでなく。
「仰高門日講」は、商人でも、職人でも、農民でも、袴さえ着用すれば、誰でも無料で講義を受けれたんだけどね。
講師は、湯島聖堂の教授方が行ったんだけど。
さらについでに言えば。
西洋のニュートン数学は論理数学として発展したものだが。
日本では別系統の計算数学としての「和算」が発展したな。
面白いのは、現代の大学の数学科の学士過程程度では手に負えないほどの、複雑な高等数式を。
庶民が「パズル感覚で」解けた記念に、と、各地の神社にその数式を書いた絵馬を奉納している。
現存しているだけで、2000面以上の絵馬があるが。
元禄時代の絵馬には「七十次方程式」なんぞという、難問まで奉納されている。(京都の八坂神社に現存するけどね)
本来、学問の「裾野」が、全く違ったんだよなぁ、そっちと日本では。。。(苦笑)
>朝鮮時代には「成均館」があったし。
「国子監」は、中国隋代に始まった「『本家』国子監」のパクリだけど。
「成均館」は、朝鮮版「国子監」が李朝の時に名前を変えたもんだが。
その実態は、小科(科挙の過程)の合格者のみが入ることを許可されたもんだよな。
大科(科挙の上級過程)合格まで、衣食住只で、土地と奴婢まで国から支給されて。
で、結局は政治に口出しするようになって、結局は「政争予備軍」にしかならなかった、と・・・
日本の場合、江戸幕府の最高学府は「昌平坂学問所(湯島聖堂)」
各藩には、藩士子弟の高等教育機関である「藩校」
寛政年間〜天保年間には、藩校は255校。(昌平坂学問所は、当然ながら1校)
民間の学者が主催する「私塾」は、1321校を数えたが。
「寺子屋」になると、江戸府内でも1500校を越していたから。
*日本全土、となると、把握できない数らしいぞ。
内容も、昌平坂学問所・藩校は、儒学が中心だが。
私塾は儒学(朱子学、陽明学、古義学、考証学など)、漢学、国学各学派、洋学・蘭学(医学、語学、自然科学など)、理科学(和算、天文・暦法、本草学、医学)など幅広い。
武家も、儒学だけでなく、蘭学・洋学、国学などの遊学に出向いたし。
庶民でも様々に、自由に学問を学べたがね。
いずれも、純粋に「学問の研究・研鑽」の場所だったから、国家(幕府や藩)から、金も土地も奴婢(江戸期には、純粋に奴婢の様な者は居なかった打)も支給はされず。
学生は自費が大半で、それでも「貧乏学生」なりに、自由に学問していたようだがね。
間違っても、「政治に介入、政争の要因」にはなっていなかったなぁ。
そもそも、「学問の府」ってのは、自由に学問を「研究・研鑽」するところなんじゃないのかねぇ?(笑)
そうそう、ついでに言えば、当時の日本の最高学府「湯島聖堂(昌平坂学問所)」は、武士階級だけでなく。
「仰高門日講」は、商人でも、職人でも、農民でも、袴さえ着用すれば、誰でも無料で講義を受けれたんだけどね。
講師は、湯島聖堂の教授方が行ったんだけど。
さらについでに言えば。
西洋のニュートン数学は論理数学として発展したものだが。
日本では別系統の計算数学としての「和算」が発展したな。
面白いのは、現代の大学の数学科の学士過程程度では手に負えないほどの、複雑な高等数式を。
庶民が「パズル感覚で」解けた記念に、と、各地の神社にその数式を書いた絵馬を奉納している。
現存しているだけで、2000面以上の絵馬があるが。
元禄時代の絵馬には「七十次方程式」なんぞという、難問まで奉納されている。(京都の八坂神社に現存するけどね)
本来、学問の「裾野」が、全く違ったんだよなぁ、そっちと日本では。。。(苦笑)
これは メッセージ 35147 (ilkuji_life さん)への返信です.