朝鮮半島→樺太→日本「二重徴用」悲劇悼む
投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/10/08 00:53 投稿番号: [34704 / 35788]
ユジノに炭鉱員追悼碑
【ユジノサハリンスク6日津野慶】太平洋戦争末期、日本政府による徴用などで、日本統治下の朝鮮半島からサハリン(樺太)へ炭鉱労働者として渡り、その後、日本本土の炭鉱に移送され、働かされた韓国人の追悼碑がこのほど、ロシア・サハリン州ユジノサハリンスク市に完成した。
高さは三・七メートル。炭鉱員の遺族会が同市の韓国文化センター前に建立した。下部に炭鉱員のレリーフを配置し、韓国語で史実が記されている。費用は韓国や日本、ロシアなどの有志が負担した。
一九四四年(昭和十九年)ごろから、日本では石炭運搬船の不足により、樺太からの石炭輸送が困難になった。このため、樺太の炭鉱員九千六百九十九人を極秘で本土へ移送し、九州などの炭鉱で働かせた。
このうち三千百九十人の朝鮮半島出身者は「二重徴用」された形になった。戦後、樺太が旧ソ連領になり、韓国人が出国できなくなったため、樺太に残った家族と会えなくなった。
父親が樺太中部の豊畑炭鉱から茨城県の山一炭鉱へ徴用された林太煥(リムテファン)さん(73)は「父はどこへ行ったのか、今も分からない」と嘆く。
遺族会の事務局長で、父親と兄が樺太中部の西柵丹(ボシニャコボ)から福岡県の三井山野炭鉱に徴用された鄭泰植(テンテシク)さん(76)は、父親とサハリンで再会したが、韓国に戻った兄とは約四十年間連絡が取れなかった。鄭さんは「碑を建立することで、何があっても戦争はいけない、と若い人に伝えたかった」と話している。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/international/53537.html
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