まあまあ!大怪獣サマ
投稿者: licky_eto 投稿日時: 2006/07/01 00:12 投稿番号: [32241 / 35788]
閉韓時間を迎えて
当時の日本は少なくとも
支那史書に引かれているのが事実と考えるならば
最低でも現在の福島県辺りまでは
大和朝廷の支配下にあったと考えるべきでしょう(南朝宋への上表による)
当時の新羅は半島の1/5程度を
加羅はそれ以下の領土を豪族連合が支配
残る半島を百済と高句麗が二分していたと考えるべきですね
新羅は新興国(かなり後発な政権)の上
ヤマトから支那へのルートからは完全に外れていたので
ヤマトとしてはそれほど重要視していなかったモノと思われる
ただし
新羅は加羅に度々侵略していたか
あるいは侵略の意図があったことから
小規模な武力衝突は
度々勃発したと思われ
弱小にして新興国の新羅は
少なからずヤマトの影響を受けたモノと思われます
百済は度々
それもかなり本気で高句麗と衝突しており
日本との同盟は重要なモノでした
しかし
百済からの
度々の出動要請に応じたヤマト軍に対して
百済が報いる術は殆どありませんでした
当時の朝鮮半島の農業は
それほど進んでいたわけではなく
作物の種類もどれほどあったのか判りません
(これは
当時の一級資料が残っていないためです)
また
鉄製の農機具・兵器の類は
ヤマト自ら加羅に来て採取してしまっている
そこで百済がヤマトに報いるには
支那から輸入した文化をヤマトに贈り物とし
ヤマトから支那への移動ルートを与え
ヤマトへは友好の証としての
王子を送ることになったと
(日本側では「質」といい
百済側では「留学」という)
これは メッセージ 32234 (juwan_nim さん)への返信です.
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