なぜ日本人は、嫌われるのか?

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我らの父祖は・・・

投稿者: georgia3085091 投稿日時: 2005/01/03 18:04 投稿番号: [28124 / 35788]
朝鮮半島にいつ学校ができたか。

■今岡さんは、父親が京城の小学校で教師をされていたことから朝鮮で生まれ育った。そこで、まず今岡さんの一族が朝鮮にわたったきっかけから聞いてみた。

  そもそも私の一族が朝鮮に渡ったのは、明治四十三年(一九一〇年)の日韓併合後、内地で出された教員の募集がきっかけでした。
  日本の朝鮮統治というのは、欧米列強がやったような、植民地から徹底的に収奪するようなやり方ではなくて、明治天皇、大正天皇のご詔勅にもあります「一視同仁」乗りそうに基づいて、朝鮮を内地並の生活レベル、文化レベルに引き上げようということを基本政策にしました。ですから、そのためには学校をつくって教育しなければならないということで、教育に非常に力を入れたわけです。
  けれども、当初は朝鮮に学校というものがほとんどなかった。だから当然、教員の資格のあるものもいなかった。それで併合の翌年に、内地にすごい勢いで教員の募集がかけられたのです。ちょうど私の父の叔父が(私から見れば大叔父になりますが)、郷里の米子の隣村で、小学校の教師をしており、その募集に応じて朝鮮に渡った。それが縁で私の郷里では一族のうち六人が朝鮮へ渡ったのですが、その中に私の父もいたわけです。
  父は地元の米子中学校を卒業後、大正七年に朝鮮に渡って、朝鮮総督府の教員養成所に入り、小学校の教師となりました。以来、小学校の教師を二校勤めた後、普通学校という朝鮮人の子供が通う小学校の教頭を二校勤め、最後は国民学校の校長をしていたところで終戦を迎えたのです。最初から最後までずっと京城勤務でしたから、私も小学校から大学までずっと京城の学校に通いました。
  ちなみに、統治下の初等教育制度がどうなっていたかというと、最初のころは日本人の子供と朝鮮人の子供は別々の学校に通っていました。日本人の方は、六年生の小学校で、日本の文部省が作った教科書をそのまま使っていた。一方、朝鮮人の方は、修業年限四年の「普通学校」に通っていました。これを「差別」と批判する向きもありますが、先ほども言いましたように、そもそも朝鮮には学校というものがなかったため、ほとんどの人が無学文盲でしたから、日本人の子供と一緒に勉強できるわけがない。だから、きちんとハングルの教科書をつくり、それを使って別枠で教育をしていたわけです。
  また、大正期に始まった三面一校増設計画やその後の一面一校増設計画に見られるように、総督府は朝鮮の人々の教育水準を上げるために、各面(村)に次々と学校を建てていきました。これは大変な投資であります。その甲斐あって、昭和十三年には普通学校も六年制になりましたし、昭和十八年には、内地と同様に国民学校となり、日本人の子供と朝鮮人の子供が同じ教科内容で勉強するようになった。三十年間教育を積み重ねた結果、日本語も使えるようになったから、もう別枠にする必要はなくなったわけです。
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