なぜ日本人は、嫌われるのか?

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

法隆寺ねえ

投稿者: ponsou_k 投稿日時: 2004/12/24 17:34 投稿番号: [27321 / 35788]
韓国:中学校『国史』国定教科書の記述。

「文化伝播」

  三国時代には、文物交流ど交易が活発に行なわれた。三国は大陸から中国文化を受け入れ、独自の文化を作り上げ、その発達した三国文化は日本へ伝えられ、日本の古代文化の発達に大きな影響を与えた。百済は日本と政治的に緊密な関係を維持したため、三国の中で、もっとも日本文化に大きな影響を与えた。阿直記と王仁は日本に渡って漢文、論語、千字文を伝え、段陽爾と高安茂などは漢学と儒学を日本に伝え、政治思想と忠孝思想を広めた。聖王(在位523-554年)のときには仏教を伝え、そのほかに天文・地理・易法などの科学技術も伝えた。

  高句麗も、多くの文化を日本へ伝えた。憎侶の慧慈は日本の聖徳太子の先生となり曇徴は紙、墨、硯を作る技術を教え、法隆寺の金堂壁画も彼の作品だといわれている。日本の高松塚古墳壁画は、高句麗の影響を受けたものである。新羅は船を造る技術、堤防と城郭を積む技術を伝えたし、伽耶は土器を作る技術を日本に伝えた。このように三国は発達した文化を日本に伝え、日本古代の飛鳥文化の発達に影響を与えた。」

-------------------------------------------------------------------------------- ---------------- -


以下は井沢元彦,藤岡信勝:真実の日韓関係史-Noといえる教科書(祥伝社,1998,5)の著者らの座談記:「井沢:それと一つ、これは歪曲などという次元のものではなくて、まったくデタラメといっていいと思いますが、法隆寺金堂の壁画は曇徴という高句麗出身の僧侶によって描かれたとあります。これは高校の教科書も同じです。ここまでくると荒唐無稽を通りこして、まったく鼻白んでしまいます。曇徴という僧は『日本書紀』によると610年に来日し、日本に絵の具や紙の製法を伝えたとされる人です。また『聖徳太子伝暦』という文献には一時期法隆寺に住したという記録はありますが、『伝暦』自体が一級史料ではないので確定的なことではなく、ほかにも壁画の作者と結びつく根拠はまったくありません。もちろん曇徴が描いたとされる他の作品もありません。だいたい610年の時点で一人前の年齢に達していたと思われる人物が、600年代終わりと推定される再建法隆寺の金堂壁画を手がける可能性はほとんどない。もちろん金堂壁画が朝鮮半島から渡って来た人の手になる可能性は充分あります。インドのアジャンタ石窟の壁画との類似性から、中国僧、インド僧の可能性も指摘されています。したがって朝鮮人が作者であるというのも有力な可能性の一っですが、曇徴が作者というのは、まず考えられない。仏僧と絵師は違いますしね。これが歴史小説ならいいんですが、国定教科書なんです。


http://www.bigai.ne.jp/~miwa/miwa/koreadoncho.html




http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=948763&work=search&st=writer&sw=kgbdead&cp=4

http://bbs.enjoykorea.naver.co.jp/jaction/read.php?id=enjoyjapan_8&nid=975651&work=search&st=writer&sw=kgbdead&cp=1
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)