なぜ日本人は、嫌われるのか?

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経緯・選択

投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2004/12/23 11:42 投稿番号: [27246 / 35788]
もう何度も何度も何度も出てきた文章だが。

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朝鮮時代、全権大使としてアメリカに渡った李成玉が各民族に接してみると、朝鮮人は米国人に軽蔑されているインディアンより劣り、その他メキシコ、インドなどの民族より劣っていることを知り、衝撃を受け、次のように述べている。

「現在の朝鮮民族の力量をもってすれば、とても独立国家としての体面をもつことはできない。亡国は必死である。亡国を救う道は併合しかない。そして併合相手は日本しかない。欧米人は朝鮮人を犬か豚のように思っているが、日本は違う。日本は日本流の道徳を振り回して小言を言うのは気に入らないが、これは朝鮮人を同類視しているからである。そして、日本人は朝鮮人を導き、世界人類の文明に参加させてくれる唯一の適任者である。それ以外に我が朝鮮民族が豚の境涯から脱して、人間としての幸福が受けられる道はない。日韓併合が問題になるのは、変な話だ。我輩の併合観は欧米人の朝鮮人観を基に考察したのだ。」

朝鮮全権大使   李成玉   「李完用侯の心事と日韓和合」
「日韓2000年の真実」名越二荒之助編著   国際企画
(日本図書館連盟選定図書)


『こうした公式記録を見る限り、なぜ、日本が韓国国民を「奴隷にした」として非難されるのか理解できない。もし、奴隷にしたのなら、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。日本の韓国での行動はすべて、イギリスの同盟国として「合法的」に行われたことだ。国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われたことである。しかも、その原則は日本がつくったものではない。欧米列強、主にイギリスがつくった原則なのだ。』
『日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。第二次世界大戦後の日本は、自分達は何のために戦ったか忘れてしまったかもしれないが、日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、それに促されて行動したのだ。日本外務省が韓国の「対外関係と対外問題」を「管理統括」し、日本人の総督が韓国の首都で行政権限を与えられていたのはすべて、韓国政府と締結した条約にもとずくものである。』
『1910年、日本が韓国を併合したのは韓国の新皇帝が「請願」したからだった。パールハーバー(真珠湾攻撃)以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を実に細かいころまでも几帳面に守っていた、と言ってほめるのだ。トリート教授によれば日本は「ひとつひとつの手続きを外交的に正しく積み上げてきた。
そして宣言ではなく、条約で、最終的な併合を達成したのである」。事実、列強の帝国建設はほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手続きを踏んでいなかった。』

ヘレン・ミアーズ 「アメリカの鏡・日本」より


『日本は思いやりの態度で韓国に接していると思う。今度こそ、韓国を中国からの呪縛から解放しようとしているようだ。韓国国民に平和と繁栄と文明開化をもたらすことによって、力の弱い隣国韓国を安定した独立国にしようと考えている。こうした日本の動機は韓国知識層である官僚の多くが歓迎している。アメリカにも異存はないと思われる。』

1894年7月29日   韓国駐在   アメリカ   シル代表


『わが国の歴史は極端にいうと、同族殺し合いの歴史でした。三韓時代がそうであり、三国時代もそうであり、朝鮮王朝時代における党争も法治の枠を超えたものでした。いつも不安な政情だったのです。誰もが自分を陥れる投書を一通投げこめば、破滅です。どこでだれが自分を陥れるために剣を磨いているか分からない。枕を高くして眠ることもできないのです。/日本社会でも上下の階級はあったが彼らは下人を使う前に下人の生活は徹底保障してやりました。しかし、わが国では、とくに朝鮮王朝時代には、両斑が常民を保障するどころか、収奪していました。壬申倭乱(秀吉公の朝鮮成敗)のとき、倭の側についた叛徒が大変な数にのぼったといいますね。王が非難するや叛徒が王城に火をつけ、はなはだしくは王をつかまえて倭将に差し出し、地方官を鞭打って敵陣に引っ張っていった例もありました。』
『解放後の事情にしても、恒心がもてないようになっているじゃないですか。強要しなければ、互いに共同など思いもよらないのが、今日の現実でしょう。』

「月刊朝鮮」1982年8月号

※「王をつかまえて倭将に差し出し」→王子である順和君と臨海君の二名を、朝鮮人が捕らえて加藤清正に差し出した事を指す。清正は彼らを丁重にソウルまで送り届けた。現在、彼ら二王子からの清正宛感謝状が残る。
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