これが韓国の歴史の恥部その1
投稿者: coreano_raza_infima 投稿日時: 2003/11/23 18:59 投稿番号: [23621 / 35788]
韓国現代史の英雄・朴正煕の慨嘆
我が五千年の歴史は,一言でいって退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった。
何時の時代に辺境を超え他を支配した事があり,何処に海外の文物を広く求めて民族社会の改革を試みた事があり,統一天下の威勢で以って民族国家の威勢を外に誇示した事があり,特有の産業と文化で独自の自主性を発揚した事があっただろうか。
何時も強大国に押され,盲目的に外来文化に同化したり,原始的な産業の枠から唯の一寸も出られなかったし,せいぜい同胞相争のため安らかな日がなかっただけで、姑息,怠惰,安逸,日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図にすぎなかった。
第一に,我々の歴史は初めから終わりまで他人に押され,それに寄りかかって生きてきた歴史である。
高句麗,新羅,百済の三国時代にあった随・唐の漢民族の侵略,唐の支援を受けた新羅の統一と高句麗流民の渤海国創建及びその反目,高麗朝にあった契丹,蒙古,倭寇などの侵入,李朝中葉までの壬辰倭乱、丙子胡乱を経て、その後日清戦争と前後した三国の干渉を最後に日本の単独侵略により,遂に大韓帝国が終幕を告げるまで,この国の歴史は平安な日がなく外国勢力の強圧と征服の反復の下に,辛うじて生活とは言えない生存を延長してきた。
このような侵略は半島という地域的な運命とか,我々の力不足のため起きたのではなく,殆んどは、我々が招き入れた様なものとなっている。また、外圧に対して,我々が一致して抵抗した事が無かった訳ではないが,多くの場合,敵と内通したり浮動したりする連中が見受けられたのであった。
第二に,我々の党争に関する事である。これは世界でも稀なほど小児病的で醜いものである。李朝は結局,この党派争いに明け暮れて居るうち,亡国の悲運を味わう事になったのであった。
第三に,我々は自主,主体意識が不足していた。
我々の波乱多き歴史の影になって固定される事の無かった文化,政治,社会は遂に「我々のもの」を失い,代わりに「他所もの」を仰ぎ見る様になり,それに迎合する民族性に陥らせてしまった。
「我々のもの」はハングルの他にハッキリしたものは何があるか。我々は早く,我々の哲学を創造しなければならず,独自の文化の形成に進まねばならない。なぜなら,この哲学や文化は民衆の道標となるからである。
第四に、経済の向上に少しも創意的な意欲が無かったという事である。我々が眠っている間に世界各国は自国の経済向上のために目覚しい活動を展開していた。
しかし,我々は海外進出は念頭におかず,せいぜい座って縄を編んでいるだけではなかったか。
高麗磁器などがやっと民族文化として残っているのみである。それも辛うじて貴族達の趣味に留まっているだけであった。しかし,これも途中から命脈が切れたのだから嘆かわしい事である。
以上のように,わが民族史を考察してみると情けないと言う他はない。
勿論ある一時代には世宗大王,李忠武公の様な万古の聖君、聖雄も居たけれども、全体的に顧みるとただ唖然とするだけで真っ暗になるばかりである。
我々が真に一大民族の中興を期するなら、先ずどんな事があってもこの歴史を全体的に改新しなければならない。
このあらゆる悪の倉庫の様な我が歴史は、寧ろ燃やして然るべきである。これが当代の使命を担う我々の義務ではないか。
我が五千年の歴史は,一言でいって退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった。
何時の時代に辺境を超え他を支配した事があり,何処に海外の文物を広く求めて民族社会の改革を試みた事があり,統一天下の威勢で以って民族国家の威勢を外に誇示した事があり,特有の産業と文化で独自の自主性を発揚した事があっただろうか。
何時も強大国に押され,盲目的に外来文化に同化したり,原始的な産業の枠から唯の一寸も出られなかったし,せいぜい同胞相争のため安らかな日がなかっただけで、姑息,怠惰,安逸,日和見主義に示される小児病的な封建社会の一つの縮図にすぎなかった。
第一に,我々の歴史は初めから終わりまで他人に押され,それに寄りかかって生きてきた歴史である。
高句麗,新羅,百済の三国時代にあった随・唐の漢民族の侵略,唐の支援を受けた新羅の統一と高句麗流民の渤海国創建及びその反目,高麗朝にあった契丹,蒙古,倭寇などの侵入,李朝中葉までの壬辰倭乱、丙子胡乱を経て、その後日清戦争と前後した三国の干渉を最後に日本の単独侵略により,遂に大韓帝国が終幕を告げるまで,この国の歴史は平安な日がなく外国勢力の強圧と征服の反復の下に,辛うじて生活とは言えない生存を延長してきた。
このような侵略は半島という地域的な運命とか,我々の力不足のため起きたのではなく,殆んどは、我々が招き入れた様なものとなっている。また、外圧に対して,我々が一致して抵抗した事が無かった訳ではないが,多くの場合,敵と内通したり浮動したりする連中が見受けられたのであった。
第二に,我々の党争に関する事である。これは世界でも稀なほど小児病的で醜いものである。李朝は結局,この党派争いに明け暮れて居るうち,亡国の悲運を味わう事になったのであった。
第三に,我々は自主,主体意識が不足していた。
我々の波乱多き歴史の影になって固定される事の無かった文化,政治,社会は遂に「我々のもの」を失い,代わりに「他所もの」を仰ぎ見る様になり,それに迎合する民族性に陥らせてしまった。
「我々のもの」はハングルの他にハッキリしたものは何があるか。我々は早く,我々の哲学を創造しなければならず,独自の文化の形成に進まねばならない。なぜなら,この哲学や文化は民衆の道標となるからである。
第四に、経済の向上に少しも創意的な意欲が無かったという事である。我々が眠っている間に世界各国は自国の経済向上のために目覚しい活動を展開していた。
しかし,我々は海外進出は念頭におかず,せいぜい座って縄を編んでいるだけではなかったか。
高麗磁器などがやっと民族文化として残っているのみである。それも辛うじて貴族達の趣味に留まっているだけであった。しかし,これも途中から命脈が切れたのだから嘆かわしい事である。
以上のように,わが民族史を考察してみると情けないと言う他はない。
勿論ある一時代には世宗大王,李忠武公の様な万古の聖君、聖雄も居たけれども、全体的に顧みるとただ唖然とするだけで真っ暗になるばかりである。
我々が真に一大民族の中興を期するなら、先ずどんな事があってもこの歴史を全体的に改新しなければならない。
このあらゆる悪の倉庫の様な我が歴史は、寧ろ燃やして然るべきである。これが当代の使命を担う我々の義務ではないか。
これは メッセージ 23615 (white_america_hates_all_japs さん)への返信です.