好かれていることに対して自虐的
投稿者: jaway 投稿日時: 2003/06/27 19:57 投稿番号: [22551 / 35788]
んな感情を持つか?
------
異文化の理解は、信頼の第一歩
http://www.janjan.jp/column/0306124244/1.php
私がイタリアからスイスに電車を使って入国しようとしたときに起きたことです。国境の駅で、係員が入国審査をするため車両ごとに乗客を外に出させ、一人一人パスポートをチェックをしたり、質問などをするということがありました。私と親が乗っている車両には様々な人種の乗客が乗っていました。多くは白人でしたが、ほかにも何人か黒人や、アジアのどこかの国の人と見受けられる人もいました。
私は「僕たちも色々聞かれるのかな?」と思って順番を待っていました。しかし私と親の番になったときに聞かれたことはただ一つ「日本人か?」だけでした。親が「そうです」と答えるや否や、パスポートも確認せず車両に戻っていいと言われたのです。「他のアジア人と思われる人に対しては、あんなに長く質問しているのに、なぜ僕たちだけ」という疑問は私の頭の中でしばらく尾を引くことになりました。
なぜ私たちが何も聞かれなかったのか、またそれは何を意味するのか、私には漠然とわかるようになりました。端的に言えば、私たち日本人は世界では「信用」されているのです。非常に悲しいことですが、大分部の理由はお金を持っているということだと、私は考えています。
しかしこの「信用」とは偏見の一つの形でしかなく、不確かなものです。もしあの時私と親が親子という二人組みを装ったテロリストだったらどうだったのでしょうか。また、そこまで極端ではないにしろ、日本人を装った他の国の人間かもしれなかったのです。
人間は偏見というものから未来永劫脱却できないのではないでしょうか。とりわけ外国人に対して持っている偏見というのは、お互いに触れ合う機会が少ないために堅固なものになってしまっているのではないでしょうか。
日産のカルロス・ゴーン社長が言ったように「どこの国民も外国人を好きではない」のだと思います。意思を疎通するにおいて同じ文化、同じ言語の中で育った人間の方がわずらわしさを感じることが少ないのですから。
しかしこれからのボーダーレスの時代においてそのようなことは言っていられないのではないでしょうか。国内においてもこれだけ外国人を見かけるようになってきたのです。
今後、異文化の中で育った人間と接する機会が、どれぼど増えるか想像もつきません。大切なことは、どれだけその人たちと、またはその人が育った文化に直接触れ、その人が「信用」できる人間なのかを見極める目を持つことだと思います。
お互いがそのような目を持つようになれば、お互いの文化を尊重する、「信頼」できる人として見るようになるのではないかと私は考えています。
(木村健)
------
異文化の理解は、信頼の第一歩
http://www.janjan.jp/column/0306124244/1.php
私がイタリアからスイスに電車を使って入国しようとしたときに起きたことです。国境の駅で、係員が入国審査をするため車両ごとに乗客を外に出させ、一人一人パスポートをチェックをしたり、質問などをするということがありました。私と親が乗っている車両には様々な人種の乗客が乗っていました。多くは白人でしたが、ほかにも何人か黒人や、アジアのどこかの国の人と見受けられる人もいました。
私は「僕たちも色々聞かれるのかな?」と思って順番を待っていました。しかし私と親の番になったときに聞かれたことはただ一つ「日本人か?」だけでした。親が「そうです」と答えるや否や、パスポートも確認せず車両に戻っていいと言われたのです。「他のアジア人と思われる人に対しては、あんなに長く質問しているのに、なぜ僕たちだけ」という疑問は私の頭の中でしばらく尾を引くことになりました。
なぜ私たちが何も聞かれなかったのか、またそれは何を意味するのか、私には漠然とわかるようになりました。端的に言えば、私たち日本人は世界では「信用」されているのです。非常に悲しいことですが、大分部の理由はお金を持っているということだと、私は考えています。
しかしこの「信用」とは偏見の一つの形でしかなく、不確かなものです。もしあの時私と親が親子という二人組みを装ったテロリストだったらどうだったのでしょうか。また、そこまで極端ではないにしろ、日本人を装った他の国の人間かもしれなかったのです。
人間は偏見というものから未来永劫脱却できないのではないでしょうか。とりわけ外国人に対して持っている偏見というのは、お互いに触れ合う機会が少ないために堅固なものになってしまっているのではないでしょうか。
日産のカルロス・ゴーン社長が言ったように「どこの国民も外国人を好きではない」のだと思います。意思を疎通するにおいて同じ文化、同じ言語の中で育った人間の方がわずらわしさを感じることが少ないのですから。
しかしこれからのボーダーレスの時代においてそのようなことは言っていられないのではないでしょうか。国内においてもこれだけ外国人を見かけるようになってきたのです。
今後、異文化の中で育った人間と接する機会が、どれぼど増えるか想像もつきません。大切なことは、どれだけその人たちと、またはその人が育った文化に直接触れ、その人が「信用」できる人間なのかを見極める目を持つことだと思います。
お互いがそのような目を持つようになれば、お互いの文化を尊重する、「信頼」できる人として見るようになるのではないかと私は考えています。
(木村健)
これは メッセージ 1 (kim20OO さん)への返信です.