高句麗は満州の国
投稿者: daemon_tools 投稿日時: 2003/01/24 15:15 投稿番号: [21353 / 35788]
高句麗
(前33?〜668) 前1世紀頃、東満州にツングース系貊族が建てた国。
始祖は伝説では朱蒙。
言語風俗は扶余に似ており、その別種といわれる。
北は扶余、東は沃沮、西は遼東、南は韓と接する。
王の下には相加・対廬・沛者・古雛加などの官位が置かれた。
(三国時代当時)
紀元32年、後漢の光武帝に独立を認められる。
以後服従背反を繰り返し、2世紀後半からは台頭してきた遼東の公孫氏と争う。
209年、公孫氏に追われた山上王伊夷模は鴨緑江北岸の国内城(丸都城)
に都を定めた。
山上王の子東川王は魏のカン丘倹の討伐を受け、北沃沮に亡命した。
4世紀初、美川王は楽浪郡・帯方郡を滅ぼし、晋の半島支配を脱した。
4世紀末、広開土王が即位すると、百済・倭を破り、新羅を服属させた。
広開土王の子長寿王の時代に、都を平壌に移し、最盛期を迎える。
7世紀初、隋の煬帝から三度の大遠征を受け、国力を消耗し衰退。
668年、唐・新羅の連合軍に敗れて滅亡した。
そもそも高句麗は満州の国家である。
いまのちょんと何か関係あるのか?
これは メッセージ 21348 (ilkuji_99 さん)への返信です.
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