超野蛮残虐国北ちょん
投稿者: daemon_tools 投稿日時: 2002/12/13 13:02 投稿番号: [20866 / 35788]
「1987年、穏城収容所で5000人を大虐殺」
最近、咸鏡(ハムギョン)北道・会寧(フェリョン)の第22号政治犯収容所の衛生写真が公開されたことから、その近隣に位置し、今は解体された穏城(オンソン)第12号政治犯収容所で発生した大虐殺事件に対する証言が相次いでいる。
事件は1987年5月、第12号収容所内のチャンピョン地区で発生した北朝鮮初の大規模な暴動事件であり、1万5000人あまりの政治犯中、5000人あまりが無惨に虐殺された最悪の事件だと、証言者たちは口を揃える。
当時、近隣の収容所で警備兵として勤務していたアン・ミョンチョル(33)さんは、穏城第12号収容所暴動の鎮圧作戦に参加した小隊長と分隊長から、事件の経緯を詳しく聞いたという。
穏城地区に長く居住した脱北者(朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を脱出した住民)のムン・ヒョンイルさんも、収容所が解体された後、ここを訪れたことがあり、現地の住民らから大虐殺の真相を聞いたと話した。
証言によれば、事件は炭鉱で働いていたある政治犯が保衛員からひどく殴られ、これに反抗、保衛員を殴り返したことから始まった。現場には200人あまりの政治犯がいたが、興奮した彼らがこれに加わり、保衛員を殺害した後、山を越え、保衛員の社宅まで襲ってしまった。
この過程で、何もかもを諦めて生きて来た政治犯、数千人が加勢、その規模が5000人を超え、ついには、大規模な暴動へと拡大した。
事態が際限なく広がると、第12号収容所側は近隣の収容所警備隊の兵力と装備まで動員し、高射砲と機関銃などで武装、収容所を取り囲んだ後、無差別に射撃を加え、暴動に加わった5000人あまりを皆殺しにしたという。
暴動が鎮圧された後、政治犯の遺体は焼かれるか、付近の山に集団で埋葬された。保衛員の家族の犠牲者は付近の共同墓地に埋葬された。
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2002/12/13/20021213000008.html
これは メッセージ 1 (kim20OO さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/a4ja4bcffckdcbfma4oa1a27ya4oa4la4ka4na4aba1a9_1/20866.html