だからさーイルクジ
投稿者: daemon_tools 投稿日時: 2002/08/15 15:54 投稿番号: [19895 / 35788]
アジア諸国は感謝してるって。
>1973年にタイの首相になったククリット・プラモード氏は、「サ
イヤム・ラット」紙の主幹だった頃、「12月8日」と題した次の
ような記事を書いている。
日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本という
お母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はす
くすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と
対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるか。それは
身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためであ
る。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれた
お母さんが、一身を賭して、重大な決心をされた日である。我
々はこの日を忘れてはならない。
>平成7年5月29日、戦後50年を記念して、「アジア共生の祭
典」が開かれた。ちょうど、独立50周年を迎えたインドネシアか
らは、スハルト大統領特使として、陸軍大学長、駐日大使などを歴
任したサイデマン外務省上級大使が参列された。
サイデマン大使は、約1万人の参列者に対して、次のような挨拶
をされた。
第2次大戦中、あるいはその直後、植民地の独立のために、
外国の人々が力を貸してくれるということが見られました。
私の国インドネシアの場合、多くの日本の青年たちがインド
ネシアを自由にするために独立の闘士たちと肩を並べて戦っ
てくれました。そして多くの日本の青年がそのために命を捧
げてくれました。今日このアジア共生の祭典において、私た
ちの独立のために命を捧げてくれたこれらすべての若者たち
を偲びたいと思います。
>インド独立50周年を記念して、日印親善協会により全国5会場
で「インドの夕べ」が開催された。東京では、8月2日代々木公園
野外ステージで行われ、約8千人もの人が参加した。
インド側代表の最高裁弁護士ラケッシュ・デヴィーディ氏は「イ
ンド独立の為に日本人が共に血を流してくれたことを忘れま
せん」と、大戦中の日本の行動を賞賛した
>平成6(1994)年8月下旬、村山首相は訪問先のフィリピンと
シンガポールで戦争責任問題について謝罪した。その村山首相
をマレーシアに迎えて、マハティール首相は冒頭こう切り出し
た。
日本が50年前に起きたことを謝り続けるのは理解でき
ない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進
むべきだ。日本はこれからのアジアの平和と安定のために
国連安保理常任理事国入りして、すべての責任を果たして
欲しい。
>台南州で勤務していた森川
清十郎巡査は、村民の税金軽減のために当局と争い、抗議の自決を
した。村民は巡査を徳として「義愛公」と呼び富安宮に祀った。今
でも「日本人の神様」としてお参りする人が絶えないという。
このような厳しい法治のもとで、台湾は武闘の頻発する無法地域
から、治安良好な法治社会への変わっていった。夜眠る時や外出の
さいも、家に鍵をかけなくとも泥棒を心配する必要はなかった、と
現在でもよく言われる。
>1973年にタイの首相になったククリット・プラモード氏は、「サ
イヤム・ラット」紙の主幹だった頃、「12月8日」と題した次の
ような記事を書いている。
日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本という
お母さんは、難産して母体をそこなったが、生まれた子供はす
くすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が、米・英と
対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるか。それは
身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったがためであ
る。12月8日は、われわれにこの重大な思想を示してくれた
お母さんが、一身を賭して、重大な決心をされた日である。我
々はこの日を忘れてはならない。
>平成7年5月29日、戦後50年を記念して、「アジア共生の祭
典」が開かれた。ちょうど、独立50周年を迎えたインドネシアか
らは、スハルト大統領特使として、陸軍大学長、駐日大使などを歴
任したサイデマン外務省上級大使が参列された。
サイデマン大使は、約1万人の参列者に対して、次のような挨拶
をされた。
第2次大戦中、あるいはその直後、植民地の独立のために、
外国の人々が力を貸してくれるということが見られました。
私の国インドネシアの場合、多くの日本の青年たちがインド
ネシアを自由にするために独立の闘士たちと肩を並べて戦っ
てくれました。そして多くの日本の青年がそのために命を捧
げてくれました。今日このアジア共生の祭典において、私た
ちの独立のために命を捧げてくれたこれらすべての若者たち
を偲びたいと思います。
>インド独立50周年を記念して、日印親善協会により全国5会場
で「インドの夕べ」が開催された。東京では、8月2日代々木公園
野外ステージで行われ、約8千人もの人が参加した。
インド側代表の最高裁弁護士ラケッシュ・デヴィーディ氏は「イ
ンド独立の為に日本人が共に血を流してくれたことを忘れま
せん」と、大戦中の日本の行動を賞賛した
>平成6(1994)年8月下旬、村山首相は訪問先のフィリピンと
シンガポールで戦争責任問題について謝罪した。その村山首相
をマレーシアに迎えて、マハティール首相は冒頭こう切り出し
た。
日本が50年前に起きたことを謝り続けるのは理解でき
ない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進
むべきだ。日本はこれからのアジアの平和と安定のために
国連安保理常任理事国入りして、すべての責任を果たして
欲しい。
>台南州で勤務していた森川
清十郎巡査は、村民の税金軽減のために当局と争い、抗議の自決を
した。村民は巡査を徳として「義愛公」と呼び富安宮に祀った。今
でも「日本人の神様」としてお参りする人が絶えないという。
このような厳しい法治のもとで、台湾は武闘の頻発する無法地域
から、治安良好な法治社会への変わっていった。夜眠る時や外出の
さいも、家に鍵をかけなくとも泥棒を心配する必要はなかった、と
現在でもよく言われる。
これは メッセージ 19892 (ilkuji_99 さん)への返信です.