チョン公に対する道徳的最終通牒
投稿者: dankun_ha_kuso 投稿日時: 2002/10/30 15:32 投稿番号: [96298 / 203793]
http://www.vsp.jp/history/sangokukiki.htm
高麗の正史にも書いてあるように、百済は大和朝廷に皇太子を人質として差し出していた弱小国だったし、滅亡後は、百済の王族や貴族は、殆ど全員が唐に連行されるか、日本に亡命して貴族の末席に列せられたり地方官吏に任命されたりしている。技術者も主だったものは彼らと共に日本に亡命した。
即ち、今の韓国人は、それ以外の百済の庶民階級や奴隷達の子孫である。
参考・・・・・・・・・
古代氏族の出自を明記している基本史料である「新撰姓氏録」によると、諸蕃(帰化人)が30%近くを占め、その半分が漢系で、次が百済系で約10%に達します。
百済の王族を含めた膨大な民衆の亡命を受け入れたわけで、東国の開発などに従事させています。と言うわけで、むしろ百済人は、日本人の要素の一つと見るべきでしょう。
逆の話もあるわけで、朝鮮正史の「三国史記」には、第四代王の脱解尼師今は、倭国(ヤマト)の東北千里の多婆那(タバナ=丹波説が有力)国の王と、女国の王女の間に生まれた子供であると明記されています。要するに、日本人の新羅王の存在を認めているわけ。
「三国史記」には、高句麗好太王碑文で記された時期に、百済の皇太子と新羅の王子が、倭国の人質になったことも明記しており、碑文の記述と調和的です。
考古学的にも、最古の前方後円墳は、200年頃に奈良県おおやまと地域で発生したと考えられ、次第に分布域を拡大していき、5〜6世紀には朝鮮半島南端にも分布するようになります。これは、古代日本の任那支配と調和的です。
これは メッセージ 96293 (davidpkjp さん)への返信です.
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