七支刀が証明
投稿者: donsajn 投稿日時: 2002/10/17 14:25 投稿番号: [92551 / 203793]
表面》
泰和四年五月十六日丙午正陽
造百練□七支刀
□辟百兵
宜供供侯王
□□□□作
解釈:泰和4年(369)5月16日の丙午正陽に、くりかえし鍛え抜いた七
支刀を造った。おびただしい軍兵をしりぞける(に足りる霊力をもつ)。
これは(中国の天子の外臣たる)侯王に供するにふさわしいものである。
某々作。
《裏面》
先世以来
未有此刃
百済王世子
奇生聖晋
故為倭王旨造
伝示□世
解釈:先の世以来、かつてこのような刃(じん=ほこ)はなかった。百済王と
その世子は、聖晋のもとにその生を寄りどころにしている。故に(同じ
東晋の天子の配下の侯王たる)倭王の為に造った。伝えて(後)世に示
さんことを。
宮崎市定説(ものすごくマイナー説)
表面》
泰始四年五月十六日丙午正陽
造百練鋼七支刀
以辟百兵
宜供供侯王永年大吉祥
解釈:泰始4年(468年)夏の中月なる5月、夏のうち最も夏なる日の16
日、火徳の旺んなる丙午の日の正午の刻に、百度鍛えたる鋼の七支刀を
造る。これを以てあらゆる兵器の害を免れるであろう。恭謹の徳ある侯
王に栄えあれ、寿命を長くし、大吉の福祥あらんことを。
《裏面》
先世以来未有此刀
百済王世子奇生聖徳
故為倭王旨造
伝示後世
解釈:先代以来未だ此(かく;七支刀)のごとき刀はなかった。百済王世子は
奇しくも生れながらにして聖徳があった。そこで倭王の為に嘗(はじ)
めて造った。後世に伝示せんかな。
一般訳
〔表〕泰和(たいわ)四年五月一六日、丙午の日の日中、鍛えに鍛えた鉄でこの刀をつくった。この剣には、敵を撃ち破る霊力が備わっている。これをさしあげる。
〔裏〕百済王は、倭王のためにかつてないすばらしい刀をつくった。この剣の霊力を後生まで伝えてください。
日本書紀によると、367年〜371年にかけ、日本は軍隊を派遣し、任那七県を新羅から取り戻し、百済に与えたとあり、「七支刀は、そのお礼として贈られてきたのではないか」というのが、常識的な見方なんだよ。
七支刀が否定してるじゃないかね〜
日本書紀否定は天皇百済説否定になるけどまだ矛盾したことに気づかないのかな?
これは メッセージ 92534 (davidpkjp さん)への返信です.
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