一切の責任は韓国民にあるはずがない根拠
投稿者: korean_blues 投稿日時: 2001/07/12 18:52 投稿番号: [8832 / 203793]
窓の向こうの方からこちらの部屋の中を見ている人物がいるとする。
そんな場合、日本人ならば受け身形で「誰かに見られている」と表現する。
韓国人ならば能動形で「誰かが見ている」と表現する。
これは私が何回か実験してみて確かめたことである。
この表現の違いは、単なる文法的な形の違いであって、意味としては同じものである。
しかし、表現を支える両者の心理は正反対となっている。
(中略)
「誰かに見られている」では、こちら側の状況が重視され、こちら側の行動へと
注意が向けられている。一方、「誰かが見ている」では、こちら側の行動より、
誰がこちら側を見ているのかという相手側に関心が向けられている。
日本のテレビではアナウンサーが、
「子どもが何者かに連れられていって山で殺された事件がありました」と述べている。
韓国でならば、「何者かが子どもを連れていって山で殺した事件がありました」
と言うだろう。
(中略)
乗ろうとしたタクシーに、先に他の人が乗ってしまった。
そこで、「ああ、あの人が乗ってしまった」と言う韓国人。
先に乗った人を非難することになる。
「ああ、乗られちゃった」と言う日本人。
先を越された自分への悔しさに重点が置かれている。
気がつかなかったこちらが悪いという日本人。あちらが悪いという韓国人……。
これは メッセージ 1 (retribution さん)への返信です.
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