>>森林伐採
投稿者: kamisanga3 投稿日時: 2002/09/10 01:38 投稿番号: [82288 / 203793]
艦長に言われて、伐採を調べてたら、現代にも通じる記述にぶつかりました。御一読頂けたら、幸いです。(日本人は、朝鮮人を蔑視も軽視もしてない、ただ、無視(同化?)してるだけ、と言う事に成りますか・・・)
「朝鮮」の黙殺
話は、いささか飛躍する。本稿のテーマは、「中国」である。ために、朝鮮の表象というテーマについて触れる予定はなかった。これからも恐らく、ない。
しかし予定があろうとなかろうと、このテーマについて論じること自体がほぼ不可能であることについては我々は是非認識しておく必要があろう。つまり、論じたくても論じられないのである。
理由は明快で、朝鮮半島を取り扱った流行歌そのものが皆無に近く、存在しないからである。[11]
中国をテーマとした流行歌群が枚挙に暇ないのに対して、朝鮮を取り扱った作品は、敗戦以前においてはその例をこの「鴨緑江節」にしか見出すことができない。おそらくは朝鮮への無視が、意識的にあるいは無意識的に行われている。
維新よりこのかた日本が行ってきた中国と朝鮮との間の差別化されたイメージについては、伊藤之雄の言を借りて明快に言い切ってしまうならば、中国は「大国で潜在力はあるけれども近代化に遅れる半開国」であり、朝鮮は「小国で近代化に着手していない未開国」であってきた。[12]中国には侮蔑と共に一定の畏怖の念が抱かれているが、朝鮮にはそのような複線的な感情はなかったことをこの言は正しくいい当てている。
地域概念としての「満韓」という用語が併合以前には多く見られたが、併合後においては「満蒙」という用語に取って代わられるという事実も、併合の過程で朝鮮半島が日本の国土として日本人の意識の中において同化させられ、結果として記述の必要を感じないほどにまで無化されてしまう朝鮮の姿を示唆している。
朝鮮は日本にとって第一の布石にしかすぎず、ためにこの傾向は朝鮮が日本の手に落ちるにいたっては倍化されることとなる。であるから、敗戦後に至るや、朝鮮は完全に(朝鮮戦争の一時期を覗き)日本人の視界から消え、無視ないしは黙殺されることとなるのである。[13]
朝鮮が描かれないというネガの要素の裏面には、描かれる中国というポジがある。朝鮮を題名に戴きながら内実意識され描かれるのは中国であったという「鴨緑江節」は朝鮮を黙殺するという作業を通して、言外に当時の日本人の関心の方向性を示していたのである。
[大正期−1次大戦記憶の脆弱]
http://www.geocities.com/Hollywood/Cinema/3821/taishou.html
文中内注
[11] 本稿のテーマが近代に限定されるためこういう表現をしたが、正確にはこの謂は正しくない。戦後においては幾つかの特筆すべき事柄がある。例えば朝鮮戦争前後には、在日韓国人歌手小畑実と半島メロディーの影響が指摘される古賀政男がコンビを組んで離散家族を歌った「涙のチャング」や、古賀の弟子菅原都々子が関釜海峡の別離を歌った「連絡船の歌」(原曲は半島のもの)などがヒットした。だがこういった動きは戦争の終了と共に収束した。また昭和40年代後半以降、イ・ソンエ、チョー・ヨンピル、ケー・ウンスク、キム・ヨンジャなどの韓国人歌手が来日し、歌謡界に韓国ブームを作り出した。特にチョーは「釜山港に帰れ」(これも原曲は韓国のもの)が大ヒットした。が、これらもソウルオリンピックの終了と共に収束した。全体的に流行歌においては、朝鮮の表象は中国に比べ(近代においては特に)低調であったことは事実である。
[12] 伊藤前掲論文、155頁
[13] 内海前掲論文、261頁
「朝鮮」の黙殺
話は、いささか飛躍する。本稿のテーマは、「中国」である。ために、朝鮮の表象というテーマについて触れる予定はなかった。これからも恐らく、ない。
しかし予定があろうとなかろうと、このテーマについて論じること自体がほぼ不可能であることについては我々は是非認識しておく必要があろう。つまり、論じたくても論じられないのである。
理由は明快で、朝鮮半島を取り扱った流行歌そのものが皆無に近く、存在しないからである。[11]
中国をテーマとした流行歌群が枚挙に暇ないのに対して、朝鮮を取り扱った作品は、敗戦以前においてはその例をこの「鴨緑江節」にしか見出すことができない。おそらくは朝鮮への無視が、意識的にあるいは無意識的に行われている。
維新よりこのかた日本が行ってきた中国と朝鮮との間の差別化されたイメージについては、伊藤之雄の言を借りて明快に言い切ってしまうならば、中国は「大国で潜在力はあるけれども近代化に遅れる半開国」であり、朝鮮は「小国で近代化に着手していない未開国」であってきた。[12]中国には侮蔑と共に一定の畏怖の念が抱かれているが、朝鮮にはそのような複線的な感情はなかったことをこの言は正しくいい当てている。
地域概念としての「満韓」という用語が併合以前には多く見られたが、併合後においては「満蒙」という用語に取って代わられるという事実も、併合の過程で朝鮮半島が日本の国土として日本人の意識の中において同化させられ、結果として記述の必要を感じないほどにまで無化されてしまう朝鮮の姿を示唆している。
朝鮮は日本にとって第一の布石にしかすぎず、ためにこの傾向は朝鮮が日本の手に落ちるにいたっては倍化されることとなる。であるから、敗戦後に至るや、朝鮮は完全に(朝鮮戦争の一時期を覗き)日本人の視界から消え、無視ないしは黙殺されることとなるのである。[13]
朝鮮が描かれないというネガの要素の裏面には、描かれる中国というポジがある。朝鮮を題名に戴きながら内実意識され描かれるのは中国であったという「鴨緑江節」は朝鮮を黙殺するという作業を通して、言外に当時の日本人の関心の方向性を示していたのである。
[大正期−1次大戦記憶の脆弱]
http://www.geocities.com/Hollywood/Cinema/3821/taishou.html
文中内注
[11] 本稿のテーマが近代に限定されるためこういう表現をしたが、正確にはこの謂は正しくない。戦後においては幾つかの特筆すべき事柄がある。例えば朝鮮戦争前後には、在日韓国人歌手小畑実と半島メロディーの影響が指摘される古賀政男がコンビを組んで離散家族を歌った「涙のチャング」や、古賀の弟子菅原都々子が関釜海峡の別離を歌った「連絡船の歌」(原曲は半島のもの)などがヒットした。だがこういった動きは戦争の終了と共に収束した。また昭和40年代後半以降、イ・ソンエ、チョー・ヨンピル、ケー・ウンスク、キム・ヨンジャなどの韓国人歌手が来日し、歌謡界に韓国ブームを作り出した。特にチョーは「釜山港に帰れ」(これも原曲は韓国のもの)が大ヒットした。が、これらもソウルオリンピックの終了と共に収束した。全体的に流行歌においては、朝鮮の表象は中国に比べ(近代においては特に)低調であったことは事実である。
[12] 伊藤前掲論文、155頁
[13] 内海前掲論文、261頁
これは メッセージ 82283 (uemula さん)への返信です.
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