なぜ韓国人は、嫌われるのか?

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昭和20年8月幻の朝鮮独立工作

投稿者: umoooooo 投稿日時: 2002/08/14 23:53 投稿番号: [75190 / 203793]
日米開戦以降、日本国内の朝鮮独立運動は、東亜連盟運動に従事していた朝鮮人によって秘かに行われており、東亜連盟運動の指導者である石原莞爾や朝鮮軍司令官板垣征四郎大将は之を支援し、両者の間では、もし朝鮮人の独立運動が本物ならば、板垣大将が彼等と死生を共にする黙契があったという。だが板垣大将は昭和20年4月第7方面軍司令官(南方)に転出し、また朝鮮人の準備が不足していた為、独立運動は目立った成果を挙げてはいなかった。だが昭和20年8月、状況は一変する。

8月8日、ソ連が日ソ中立条約を蹂躙し対日宣戦を布告、ソ連軍が満洲国に侵攻するに及んで、朝鮮総督府は、我が国の完全敗北を悟り、連合軍に占領される前に朝鮮を独立させるべく、国内にいた朝鮮独立運動家たちと交渉を行った。だが、この期に及んで、独立運動の指導者呂運亨と宋鎮禹が内紛を起こしてしまったのである。



朝鮮総督府の支援を受けた独立達成に対して、間もなく進駐してくる連合軍と交渉し民衆の希望を伝えるために急速な独立政府樹立が必要不可欠と考える呂運亨は賛成したが、日本の傀儡政権と思われることを恐れる宋鎮禹は猛反対し、宋は重慶の蒋介石政権に亡命中の金九主席の「大韓民国政府」を迎えて独立政府とすべきである、と主張した。両者の論争は果てしなく続き、呂運亨は宋鎮禹の参加を得ないまま、朝鮮総督府の支援の下に建国準備委員会を設立した。

そして8月15日、待ちに待った「解放」の日が来たと、朝鮮全土に民族歌、



白頭山尾根に沿って半島三千里

無窮花咲くこの山河に歴史五千年



の大合唱が広がっていった。だが解放に随喜した民衆は決起して総督府の統治機構を接収しようとも、「日帝」の犯罪を追及する裁判所を設置しようともせず、憲兵、警察、検察などの治安機構、地方行政機構、学校、交通、放送、新聞など言論機関は朝鮮総督府に掌握されていた。

韓国政府が光復記念日とする昭和20年8月15日、朝鮮は依然として我が国の統治下にあったのである。そして17日、朝鮮総督府は、呂運亨らの建国準備委員会に対して、治安権を含む幾多の統治権、学校、交通、放送、新聞など言論機関を譲渡し、国旗として太極旗の掲揚を認めた。       

ここに至りようやく朝鮮は独立を回復し、朝鮮の老人は、



「思わざりき、生きて再び太極旗の掲揚を見ようとは」



と歓涙にむせいだ。

だが朝鮮独立を既成事実化するには時既に遅く、朝鮮人の統治能力を全く信用していなかった連合軍は、18日、朝鮮総督府を通して独立を取消し、朝鮮を再び我が国の統治下に戻してしまった。

哀れ朝鮮独立は一朝の夢に終わってしまったのである。

  そして九月九日、アメリカ代表沖縄第二十四軍団長ホッジ中将、第五十七機動部隊司令長官キンケード大将、日本側代表、朝鮮総督阿部信行大将、朝鮮軍管区司令官上月良夫中将の四人は降伏文書に調印、十一日、アメリカ軍は軍政を施き、かくして朝鮮半島は38度線を境界として米ソによって分断されたのであった。



  親日独立派の金玉均は、「日本が東洋のイギリスになるなら朝鮮は東洋のフランスになろう」と朝鮮を近代的な独立国家に発展させ日本と提携すべく、1884年、甲申政変を起こしたものの、親清事大派と袁世凱率いる清軍に敗れ、日本に亡命した。しかし1894年3月、朝鮮政府の刺客によって上海に連れ出され、暗殺された。清国政府は朝鮮国王に祝電を送り、金の死体は清国軍艦で朝鮮に送還され、朝鮮政府によって首、胴体、両手両足に分断され、首と両手両足は晒され、胴体は漢江に捨てられ、金の父親は処刑され、弟は獄死し、母は自殺した。

  金玉均は、反日教を狂信する現代韓国人を冥土から眺めながら痛嘆しているだろう。



  「朝鮮半島の悲劇は、朝鮮民族自身の内紛性格と華夷秩序(反日侮日)思想によって引き起こされたのだ」と。
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