インパール最前線
投稿者: shinkuuboakagi 投稿日時: 2001/06/23 03:38 投稿番号: [7390 / 203793]
私の話はいつもトピずれでご容赦を。
>どうせするなら最前線の話しをしてくださいよ 例えば、インパール作戦での補給は運搬用兼食料として、軍馬や水牛を連れて行く程だったから、当然それさえ無くなったら、山村を襲い食料を略奪したとか
いくらでも、この手の話しは知っているでしょう あなたなら
my君はどうしても日本軍を虐殺集団にしたいらしいね。(左翼、、韓国・朝鮮の特徴)。理解力がないとすると何度書いても意味がないのでmy君に対するレスはこれが最後の「つもり」。レスはいらない。
インパールのあるインド最東端マニプル州に戦後入った日本人は東大の中根女史が1953年ころからと、探検家森田勇三氏が1970年代の終わりのみ。中根氏は実際はアッサム州の方だから、実質的には森田氏のみ。以下は森田氏のナガ高地探検記から。
日本軍が攻略しようとしたインパールはマニプル州の州都。実際の最大の戦闘はその北方の町コヒマで行われた。現地の人(雲南系のモンゴロイド)は「日本戦争」とよんでいるらしい。以下はこの本からのエピソード。(akagiはここに駐留していた印度陸軍戦車隊の元隊長と数年間一緒に仕事をしたことがあり、この地方のことはよく聞いていた。そこの人は顔は日本人そっくりだとか、美人が多いとか、いぬが最大のごちそうだとか。
日本人(森田)来るのニュースを聞いた村人達が大勢あつまてきて、私と握手する。「私は日本人にかわいがられた。あなたはわたしの息子同然だ。あえて大変うれしい」57才の男が本当に親しげに話しかけてきた。
日本語の班長をいまでも村人同士で使うことがあるという。「私は日本軍が作った学校に通ったので日本語をまだおぼえています。」長くても数ヶ月の日本語学校だったはずである。
どんなことがどれだけの期間これらの村であったにしろ、彼らがもし敵意をいだいていたり、日本軍に虐待されていたら、こうも友好的に日本語を覚えていてくれただろうか。
日本軍のことを歌った口伝の叙事詩
・・・・・・・・・・・・
ある日村の男に似た日本の兵隊が村にやってきた。たくさん来た。みんな腹をすかせていた。
私達は米や豚や野菜をあげた。十分食べた日本の兵隊は手を振って笑いながらコヒマにむかって歩いていった。
コヒマで大きな戦争があったらしい。
やがて日本の兵隊は戦う武器も食べるものもなく疲れ傷ついて村にかえってきた。
私達はまた食物をあたえた。
兵隊達はなにも語らず、笑うこともなく、ただ食べることに夢中だった。
日本の兵隊達は東のジャングルにむかって歩いた。
私達は食物を与え、ジャングルまで見送った。その後日本の兵隊はやってこない。
日本の兵隊はどこにいったのだろう。
・・・・・・・・
私(森田)は通訳を通じてこの歌を聴いているうちにだんだん胸があつくなった。この歌を聞いて、はじめて村人達が日本人達を気遣ってくれていたことを知った。
もし日本軍が食糧を強奪したり、、村人達を虐殺したりしていたら、コヒマの戦いに負けて再び村に来たときに報復されていたはず。それを食糧までくれて見送ってくれたというのはどういうことだ。
森田氏はマニプル州をかなり広くまわったらしいけど、住民が日本軍に虐待されたり虐殺された話などは聞かなかったみたいだね。
支払いはどうしたのかと聞きたいだろうね。my君の好きそうな「軍票ではらった」という話しもあるよ。よかったね。日本軍を非難できて。森田氏もかいている。「ある村で老女から日本の軍票を持っているのだが、インドのルピーに替えてくれないかといわれた。私は、そのまま持っていてください。良いことがありますよと答えた」と書いているね。よかったねー、my君。
西郷軍も軍票使ったね(西郷札)。鹿児島に行って、西郷隆盛は軍票を使って、未だ精算してないからとんでもないやつだと言ってきたらどうかな、my君。
>どうせするなら最前線の話しをしてくださいよ 例えば、インパール作戦での補給は運搬用兼食料として、軍馬や水牛を連れて行く程だったから、当然それさえ無くなったら、山村を襲い食料を略奪したとか
いくらでも、この手の話しは知っているでしょう あなたなら
my君はどうしても日本軍を虐殺集団にしたいらしいね。(左翼、、韓国・朝鮮の特徴)。理解力がないとすると何度書いても意味がないのでmy君に対するレスはこれが最後の「つもり」。レスはいらない。
インパールのあるインド最東端マニプル州に戦後入った日本人は東大の中根女史が1953年ころからと、探検家森田勇三氏が1970年代の終わりのみ。中根氏は実際はアッサム州の方だから、実質的には森田氏のみ。以下は森田氏のナガ高地探検記から。
日本軍が攻略しようとしたインパールはマニプル州の州都。実際の最大の戦闘はその北方の町コヒマで行われた。現地の人(雲南系のモンゴロイド)は「日本戦争」とよんでいるらしい。以下はこの本からのエピソード。(akagiはここに駐留していた印度陸軍戦車隊の元隊長と数年間一緒に仕事をしたことがあり、この地方のことはよく聞いていた。そこの人は顔は日本人そっくりだとか、美人が多いとか、いぬが最大のごちそうだとか。
日本人(森田)来るのニュースを聞いた村人達が大勢あつまてきて、私と握手する。「私は日本人にかわいがられた。あなたはわたしの息子同然だ。あえて大変うれしい」57才の男が本当に親しげに話しかけてきた。
日本語の班長をいまでも村人同士で使うことがあるという。「私は日本軍が作った学校に通ったので日本語をまだおぼえています。」長くても数ヶ月の日本語学校だったはずである。
どんなことがどれだけの期間これらの村であったにしろ、彼らがもし敵意をいだいていたり、日本軍に虐待されていたら、こうも友好的に日本語を覚えていてくれただろうか。
日本軍のことを歌った口伝の叙事詩
・・・・・・・・・・・・
ある日村の男に似た日本の兵隊が村にやってきた。たくさん来た。みんな腹をすかせていた。
私達は米や豚や野菜をあげた。十分食べた日本の兵隊は手を振って笑いながらコヒマにむかって歩いていった。
コヒマで大きな戦争があったらしい。
やがて日本の兵隊は戦う武器も食べるものもなく疲れ傷ついて村にかえってきた。
私達はまた食物をあたえた。
兵隊達はなにも語らず、笑うこともなく、ただ食べることに夢中だった。
日本の兵隊達は東のジャングルにむかって歩いた。
私達は食物を与え、ジャングルまで見送った。その後日本の兵隊はやってこない。
日本の兵隊はどこにいったのだろう。
・・・・・・・・
私(森田)は通訳を通じてこの歌を聴いているうちにだんだん胸があつくなった。この歌を聞いて、はじめて村人達が日本人達を気遣ってくれていたことを知った。
もし日本軍が食糧を強奪したり、、村人達を虐殺したりしていたら、コヒマの戦いに負けて再び村に来たときに報復されていたはず。それを食糧までくれて見送ってくれたというのはどういうことだ。
森田氏はマニプル州をかなり広くまわったらしいけど、住民が日本軍に虐待されたり虐殺された話などは聞かなかったみたいだね。
支払いはどうしたのかと聞きたいだろうね。my君の好きそうな「軍票ではらった」という話しもあるよ。よかったね。日本軍を非難できて。森田氏もかいている。「ある村で老女から日本の軍票を持っているのだが、インドのルピーに替えてくれないかといわれた。私は、そのまま持っていてください。良いことがありますよと答えた」と書いているね。よかったねー、my君。
西郷軍も軍票使ったね(西郷札)。鹿児島に行って、西郷隆盛は軍票を使って、未だ精算してないからとんでもないやつだと言ってきたらどうかな、my君。
これは メッセージ 7382 (Roadster_Z さん)への返信です.
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