私の思う「嫌韓のはじまり」
投稿者: takoyaki_donburi_ohmori 投稿日時: 2002/07/31 01:49 投稿番号: [70740 / 203793]
要点が纏まっておらず、ただの長い駄文になる恐れアリですが...
始まりから少しずれますが、私の両親は戦前生まれで、それぞれ小学生の頃終戦を迎えました。
家族で食卓を囲んだ時に、父がほろ酔いで当時の様子をよく聞かせてくれたものです。
その中から朝鮮人に関わる話をしたいと思います。
当時の子供社会は所謂「ガキ大将」を頂点とした純然たる縦社会を形成し、年長の子供が近所の
子供たちを集めて親の代わりに面倒を見ていたようです。
戦前戦中は、当然日韓併合と時を同じくしますが、父の話では、子供の社会では小学6年の子供から
4〜5歳位の子供まで、日本人朝鮮人分け隔てなく遊んでいたそうです。
当然の事ながら、小学校では日本人朝鮮人の子供が机を並べて共に勉強していたとの事です。
父がよく話してくれた事でよく覚えているのは、
「わしは小学校の中では、日本人では一番喧嘩が強かったけど、朝鮮人の中の3人にだけは勝てんかった。
でも普段はいつも仲良う遊んどったなぁ」
「よその小学校の奴がうちの学校の朝鮮人をいじめやがってな、わしら近所の連中集めて『朝鮮人の
なにがいかんのじゃ』ってそいつらの学校に仕返しに行った時もあったんやで」
「朝鮮人の友達の家に遊びに行って飯食わしてもらったりもしてたんや」
何が言いたいかというと、「日帝時代」と呼ばれる時にあって、日本国内では、朝鮮人独自のコミュニティは
形成されていたものの、日本人との関係は良好だったという事です。
子供社会にしか当てはまらない事の様に見えますが、子供を通して親同士が知り合い、交流を持つようになる
ケースは現在でもしばしば見られる光景です。恐らく当時もそうだったでしょう。
では何が日本人を「嫌韓」(当時は大韓民国はありませんので言葉として正しくありませんが)という感情を
持たせたのか?やはり終戦直後に起こった「朝鮮人の態度の急変」でしょう。
「我々は戦勝国民である」と嘯き、敗戦国民の日本人をまるで奴隷を見るかのような接し方、中には暴動まで
発展し、日本人の財産をことごとく壊し、奪い去ったケースも少なくないと聞きます。
また、現在でも残る朝鮮学校の生まれた理由は、「戦勝国民の子供たちが、敗戦国民の子供と一緒に
机を並べるなど言語道断」というもので、自分達から袂を分け、日本人を隔絶していったのです。
以前何度か朝鮮学校について私が「補助金くれだの、甲子園にだせだの、何を今更虫のいい事を言ってるんだ」
という内容の投稿した事がありますが、それは私がこの事を父から聞き、知っていたからです。
戦前戦中にかけての教育は、一言で言えば「天皇陛下の為に死ね」を中心とした教育でした。
桜の花を貴び、陛下の為に命を捧げ潔く散る事、敵に背を向けず、もし敵に捕まるような事があれば、玉砕せよと
徹底的に天皇陛下への忠誠を教え込まれたそうです。
「大きくなったら何になりたいか」という先生の問いに、何の迷いもなく「特攻隊!」と元気よく答える小学生の
男の子が、当たり前の様に当時はいました。
そうして徹底的に「忠誠」を教え込まれた世代が、終戦直後の朝鮮人の急変した態度を見てどう思ったでしょう。
間違いなく「裏切り」と思ったに違いありません。終戦前までは同じ日本国民として交流してきたのに、掌を返す
ような態度の変わり様、「忠誠」と対極にある「裏切り」と写っても至極当然の事でしょう。
「忠誠」を重んじ、「裏切り」を蔑視する教育を施されてきた日本人が、朝鮮人を忌み嫌う様になっても何ら
おかしい事ではありません。
表立っては嫌韓の感情を表わさない日本人ですが、「嫌韓」は60年近くも日本人が持ち続けてきた感情です。
韓国人の反日感情に負けず劣らず「嫌韓」は根の深いものだと私は考えます。
是非この投稿について、良識派の韓国人、在日の方に感想をお聞きしたいです。
始まりから少しずれますが、私の両親は戦前生まれで、それぞれ小学生の頃終戦を迎えました。
家族で食卓を囲んだ時に、父がほろ酔いで当時の様子をよく聞かせてくれたものです。
その中から朝鮮人に関わる話をしたいと思います。
当時の子供社会は所謂「ガキ大将」を頂点とした純然たる縦社会を形成し、年長の子供が近所の
子供たちを集めて親の代わりに面倒を見ていたようです。
戦前戦中は、当然日韓併合と時を同じくしますが、父の話では、子供の社会では小学6年の子供から
4〜5歳位の子供まで、日本人朝鮮人分け隔てなく遊んでいたそうです。
当然の事ながら、小学校では日本人朝鮮人の子供が机を並べて共に勉強していたとの事です。
父がよく話してくれた事でよく覚えているのは、
「わしは小学校の中では、日本人では一番喧嘩が強かったけど、朝鮮人の中の3人にだけは勝てんかった。
でも普段はいつも仲良う遊んどったなぁ」
「よその小学校の奴がうちの学校の朝鮮人をいじめやがってな、わしら近所の連中集めて『朝鮮人の
なにがいかんのじゃ』ってそいつらの学校に仕返しに行った時もあったんやで」
「朝鮮人の友達の家に遊びに行って飯食わしてもらったりもしてたんや」
何が言いたいかというと、「日帝時代」と呼ばれる時にあって、日本国内では、朝鮮人独自のコミュニティは
形成されていたものの、日本人との関係は良好だったという事です。
子供社会にしか当てはまらない事の様に見えますが、子供を通して親同士が知り合い、交流を持つようになる
ケースは現在でもしばしば見られる光景です。恐らく当時もそうだったでしょう。
では何が日本人を「嫌韓」(当時は大韓民国はありませんので言葉として正しくありませんが)という感情を
持たせたのか?やはり終戦直後に起こった「朝鮮人の態度の急変」でしょう。
「我々は戦勝国民である」と嘯き、敗戦国民の日本人をまるで奴隷を見るかのような接し方、中には暴動まで
発展し、日本人の財産をことごとく壊し、奪い去ったケースも少なくないと聞きます。
また、現在でも残る朝鮮学校の生まれた理由は、「戦勝国民の子供たちが、敗戦国民の子供と一緒に
机を並べるなど言語道断」というもので、自分達から袂を分け、日本人を隔絶していったのです。
以前何度か朝鮮学校について私が「補助金くれだの、甲子園にだせだの、何を今更虫のいい事を言ってるんだ」
という内容の投稿した事がありますが、それは私がこの事を父から聞き、知っていたからです。
戦前戦中にかけての教育は、一言で言えば「天皇陛下の為に死ね」を中心とした教育でした。
桜の花を貴び、陛下の為に命を捧げ潔く散る事、敵に背を向けず、もし敵に捕まるような事があれば、玉砕せよと
徹底的に天皇陛下への忠誠を教え込まれたそうです。
「大きくなったら何になりたいか」という先生の問いに、何の迷いもなく「特攻隊!」と元気よく答える小学生の
男の子が、当たり前の様に当時はいました。
そうして徹底的に「忠誠」を教え込まれた世代が、終戦直後の朝鮮人の急変した態度を見てどう思ったでしょう。
間違いなく「裏切り」と思ったに違いありません。終戦前までは同じ日本国民として交流してきたのに、掌を返す
ような態度の変わり様、「忠誠」と対極にある「裏切り」と写っても至極当然の事でしょう。
「忠誠」を重んじ、「裏切り」を蔑視する教育を施されてきた日本人が、朝鮮人を忌み嫌う様になっても何ら
おかしい事ではありません。
表立っては嫌韓の感情を表わさない日本人ですが、「嫌韓」は60年近くも日本人が持ち続けてきた感情です。
韓国人の反日感情に負けず劣らず「嫌韓」は根の深いものだと私は考えます。
是非この投稿について、良識派の韓国人、在日の方に感想をお聞きしたいです。
これは メッセージ 1 (retribution さん)への返信です.
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