感謝しろと言うべきではない
投稿者: RutlandSq 投稿日時: 2002/07/26 22:34 投稿番号: [69679 / 203793]
そうです。「感謝しろと言うべきではない」んです。言わなくっても、わかる人達にはわかるんです。
以下は、これまでもあちこちで語られてきた、ほんの一例です。
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パラオ:
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1885年からのスペイン統治、1899年からのドイツ統治を経験。
スペイン・ドイツ統治下では、宗主国の影響力をより強化するために、パラオの独自の習慣や文化が否定された
第一次大戦でのドイツの敗戦により、太平洋戦争終了まで約30年にわたって国際連盟の委任統治領として日本によって統治される。
この間、日本は島の経済開発政策を進めるとともに、教育を統治の大きな柱とし、公設無料実業学校を創立するなど、全ての
パラオ人児童に義務教育を課して日本語による教育を施した。
当時は日本人の移民も多く、日本語は共通語として広く使用されており、このため戦前の教育を受けた高齢者の中には、
今も流暢な日本語を話す者も多く、選挙の投票用紙には高齢者向けにカタカナ表記すら見られる。
日本文化の影響により、パラオの文化や生活は大きく変わった。それまでの、イモと魚の自給自足の食生活に米と野菜を持ち込み、
電気・道路の敷設をベースに食品加工産業を育成し雇用を創出。市場経済を導入した上で、財産の所有権は氏族から個人の手に移った。
また戸籍制度を策定したが、それまで姓を持たなかった住民は、競って「スズキ」「ナカムラ」などの姓を名乗った。
(例として、現在の資源開発省大臣はコシバ氏、前大統領はナカムラ氏)
戦後は1947年からアメリカによる信託統治が1994年まで続き、この間、公用語は英語に変わり、アメリカによる極端な反日教育が行われ
たこともあったが、1994年に独立。
独立を機に1997年パラオ初の国定パラオ史教科書が作られた。国定教科書では全体の約1割が日本統治時代の記述に当てられ、
章には「日の丸の旗のもとに」とタイトルがつけられている。 日本がパラオを支配するようになった経緯だけでなく、
日本の行った学校教育、産業・経済活動等についても詳述されている。特に学校教育については、当時の日本式の教育方針
について、厳格なしつけと教育水準の高さを強調した記述が行われている。
また現在は、2つの高校とコミュニティカレッジにおいて、正課として日本語の授業が行われている。
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パラオ本島とコロール島の間にKBブリッジ「Koror-Babeldaob Bridge」が架かっている。当初アメリカ信託統治時代の1977年に架橋された。
建設するにあたっての入札では、韓国の会社が鹿島建設の半額で落札し工事を行った。
残念ながら、ひどい手抜きの施工が原因で竣工直後から橋の中央部がたわみはじめ、通過制限重量は当初の15tから10tに
改められ、現地住民は海に落ちてもすぐ逃げられるようにと必ず車の窓を開けていたという。
1996年9月28日、KBブリッジは突如崩落し、死者1名の人的被害のほかにも、電線、水道、電話線のライフラインが分断され
首都機能は麻痺。一時は国家非常事態宣言も出された。
パラオ政府は、橋を造った韓国の業者に賠償請求しようとしたが、この時すでにこの会社は解散。
ちなみに1994年にソウルで崩落した橋を施工したのも同じ業者であった。
日本がまず仮設橋の建設を援助し、さらにODA政府開発援助により約30億円の無償援助で新たな橋を架ける事になり、
5年の年月をかけて鹿島建設の施工で完成。
2002年1月、開通式典が開かれ、橋の新しい正式名称が「Japan−Palau friendship bridge」と決められた。
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このような経緯を経て、パラオは日本の捕鯨問題や教科書問題に非常に協力的な立場を取っている。
スティーブ・ウメタロウ議員らが中心になって国会での「日本に真の歴史を」という決議がなされたことすらある。
またパラオ共和国を独立へと導いたクニオ・ナカムラ前大統領は、「新しい歴史教科書をつくる会」に賛同する署名に
>
>日本国民と日本人が「どの民族も例外なく持っている自国の正
>史を回復すべく」努力している活動を支持する。 この活動が実を
>結ぶことは、日本の未来の世代をして、偉大なる自国の歴史、伝
>統、文化に目を見開かせることに積極的な貢献をなすだろう
>
とのコメントを添えた。
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今週発売の週刊新潮154ページにも、パラオを題材にした論評が掲載されています。
以上
以下は、これまでもあちこちで語られてきた、ほんの一例です。
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パラオ:
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1885年からのスペイン統治、1899年からのドイツ統治を経験。
スペイン・ドイツ統治下では、宗主国の影響力をより強化するために、パラオの独自の習慣や文化が否定された
第一次大戦でのドイツの敗戦により、太平洋戦争終了まで約30年にわたって国際連盟の委任統治領として日本によって統治される。
この間、日本は島の経済開発政策を進めるとともに、教育を統治の大きな柱とし、公設無料実業学校を創立するなど、全ての
パラオ人児童に義務教育を課して日本語による教育を施した。
当時は日本人の移民も多く、日本語は共通語として広く使用されており、このため戦前の教育を受けた高齢者の中には、
今も流暢な日本語を話す者も多く、選挙の投票用紙には高齢者向けにカタカナ表記すら見られる。
日本文化の影響により、パラオの文化や生活は大きく変わった。それまでの、イモと魚の自給自足の食生活に米と野菜を持ち込み、
電気・道路の敷設をベースに食品加工産業を育成し雇用を創出。市場経済を導入した上で、財産の所有権は氏族から個人の手に移った。
また戸籍制度を策定したが、それまで姓を持たなかった住民は、競って「スズキ」「ナカムラ」などの姓を名乗った。
(例として、現在の資源開発省大臣はコシバ氏、前大統領はナカムラ氏)
戦後は1947年からアメリカによる信託統治が1994年まで続き、この間、公用語は英語に変わり、アメリカによる極端な反日教育が行われ
たこともあったが、1994年に独立。
独立を機に1997年パラオ初の国定パラオ史教科書が作られた。国定教科書では全体の約1割が日本統治時代の記述に当てられ、
章には「日の丸の旗のもとに」とタイトルがつけられている。 日本がパラオを支配するようになった経緯だけでなく、
日本の行った学校教育、産業・経済活動等についても詳述されている。特に学校教育については、当時の日本式の教育方針
について、厳格なしつけと教育水準の高さを強調した記述が行われている。
また現在は、2つの高校とコミュニティカレッジにおいて、正課として日本語の授業が行われている。
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パラオ本島とコロール島の間にKBブリッジ「Koror-Babeldaob Bridge」が架かっている。当初アメリカ信託統治時代の1977年に架橋された。
建設するにあたっての入札では、韓国の会社が鹿島建設の半額で落札し工事を行った。
残念ながら、ひどい手抜きの施工が原因で竣工直後から橋の中央部がたわみはじめ、通過制限重量は当初の15tから10tに
改められ、現地住民は海に落ちてもすぐ逃げられるようにと必ず車の窓を開けていたという。
1996年9月28日、KBブリッジは突如崩落し、死者1名の人的被害のほかにも、電線、水道、電話線のライフラインが分断され
首都機能は麻痺。一時は国家非常事態宣言も出された。
パラオ政府は、橋を造った韓国の業者に賠償請求しようとしたが、この時すでにこの会社は解散。
ちなみに1994年にソウルで崩落した橋を施工したのも同じ業者であった。
日本がまず仮設橋の建設を援助し、さらにODA政府開発援助により約30億円の無償援助で新たな橋を架ける事になり、
5年の年月をかけて鹿島建設の施工で完成。
2002年1月、開通式典が開かれ、橋の新しい正式名称が「Japan−Palau friendship bridge」と決められた。
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このような経緯を経て、パラオは日本の捕鯨問題や教科書問題に非常に協力的な立場を取っている。
スティーブ・ウメタロウ議員らが中心になって国会での「日本に真の歴史を」という決議がなされたことすらある。
またパラオ共和国を独立へと導いたクニオ・ナカムラ前大統領は、「新しい歴史教科書をつくる会」に賛同する署名に
>
>日本国民と日本人が「どの民族も例外なく持っている自国の正
>史を回復すべく」努力している活動を支持する。 この活動が実を
>結ぶことは、日本の未来の世代をして、偉大なる自国の歴史、伝
>統、文化に目を見開かせることに積極的な貢献をなすだろう
>
とのコメントを添えた。
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今週発売の週刊新潮154ページにも、パラオを題材にした論評が掲載されています。
以上
これは メッセージ 69571 (saru_timbanco2000gt_turbo さん)への返信です.
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