なぜ韓国人は、嫌われるのか?

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70年代の韓日同級生「友情をもう一度」

投稿者: houko2313 投稿日時: 2002/07/17 19:18 投稿番号: [66679 / 203793]
70年代の韓日同級生「友情をもう一度」


  「初めは誰なのか思いつかなかったが、“ホトク”を聞いた瞬間分かったよ」

  米軍の軍務員として勤務、引退した申泳祚(シン・ヨンジョ/71/仁川(インチョン)市)さんは3年前の99年、生涯思い出すことなどないように思えたある友人に会った。解放直後に別れ離れになった日本人の小学校同級生・井本洋(71)さんだった。

  45年8月、仁川。戦争に敗れた日本人が身の危険を感じ、帰国を急いでいた。当時14才だった日本人少年は東仁川駅近くの金融組合で預金を引き出すために、炎天下、長蛇の列に並んでいた。その側を仁川ヨンガン小学校のクラスメートである韓国人少年が通りかかった。韓国人少年は明日になると会えなくなる日本人同級生の顔を見るや、突然ホトク(はちみつ入りのお菓子)を買ってあげたくなった。ホトクを渡された日本人少年は「お父さんもいるんだ」と話し、韓国人少年はホトクをもう一つ買ってきた。その翌日、日本人少年は日本に発った。

  それから54年が過ぎた99年の春。申さんは建国(コングク)大学の李ソンス(48)教授から、井本という日本人が探しているとの話と共に、井本さんの電話番号を渡された。李教授は80年代に日本の大阪府立大学で留学していた時、同大学の学生次長を務めていた井本さんと知り合ったという。井本さんから申さんを探し出して欲しいと頼まれた李教授は、警察の協力を得て、また風聞を頼りに申さんの連絡先を調べ出した。李教授は「井本さんが韓国人留学生にとりわけ親切だった」とした。

  申さんは初めは「井本さんって誰だっけ…」と首を傾げながら、電話をかけた。だが、“ホトク話”が出るや、すぐに彼が誰だか分かったという。「私は全く忘れていたのに、彼は私を覚えていてくれたよ。私を長らく探したと言っていた」。申さんは「井本のお父さんが亡くなる直前にも、ホトクと私の話をしていらしたらしい」と語った。

  それから約2カ月後の99年5月、井本さんが韓国に来て申さんに会った時、真っ先に申さんを見知ったのも井本さんだった。井本さんは申さんにはない小学校の時の写真を持っていたのだ。2人は通っていた小学校(現・チュクヒョン小学校)を一緒に手をつないで歩き回りながら、昔話に耽った。1カ月後、申さんも日本・川西市の井本さんの自宅を訪れた。

  申さんと井本さんは今も年に5〜6回は手紙を送ったり電話をかけ、晩年の温かい友情を育てている。申さんは「井本が手紙に『韓国は第2の故郷』と書いたこともあった」とし、「井本は韓国で生まれたから、間違った話でもない」と笑みを浮かべた。

金承範(キム・スンボム)記者
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