>226事件について
投稿者: shinkuuboakagi 投稿日時: 2001/05/29 01:00 投稿番号: [6002 / 203793]
>当時、高橋是清蔵相のもと、実は、日本はガンガン経済成長していたと聞きました。
農村の悲劇は、これから解消されるところだったのでは?
がんがん成長、については、事件に参加して死刑になった安田優少尉が後の取り調べの中でこういっています。
「軍需インフレで儲かっているのは財閥のみであり、この意味で軍部は(財閥の手先の)政党の温床になっている。北海道の兵のごときは食物は軍隊の方がよいから地方に帰って農をやることを厭うている。特に北海道の北見の方に行くと、12月ころまでに3月くらいまで食う馬鈴薯も(米麦はもちろんなし)ないという有様であります。」
>また、青年将校達が殺してしまった人達は、天皇のお気に入りだったと聞きます。
結局、彼らは「国賊」扱いされていますよね?
「君側の奸」は天皇にとっては「股肱の臣」だったのですね。これについて青年将校の超過激派・磯部浅一は、天皇が「日本もロシアのようになりましたね」といったのを間接的に獄中で聞いて、こういってますね。
「このことを聞いて私は数日間気が狂いました。
「龍袖にかくれて付議を重ねて止まぬ重臣、元老、軍閥等のためにいかに多くの国民が泣いているいるか。天皇陛下、この惨憺たる国家の現状をご覧ください、陛下が私どもの義挙を国賊叛徒の業とお考え遊ばされているらしいうわさを刑務所の中で耳にして、私どもは血涙をしぼりました。・・・なんというざまですか。皇祖皇宗におあやまりなさいませ」
同じ点についてやはり安藤輝三はこんな辞世の歌を残しております。
「国体を守らんとして 逆徒の汚名
万斛の恨
涙も枯れぬ
ああ天は」
青年将校達の天皇陛下に対する精神的状況については久世光彦の「陛下」(新潮文庫)(これは小説ですが)
>実際の情勢が読めず
むしろ兵士達と接していた彼らは実際の世の中の情勢は良く知っていたのでは。ただし精神的には一種純粋培養的とはいえたかも。安藤も庶民を愛しながら庶民というものにたいする違和感があったともいわれています(暁の戒厳令ー安藤輝三と2・26事件)
あのとき殺された人たちの中には純統制派といわれている人達はいません。永田鉄山の子分武藤章等が統制派ですね。石原莞爾も最初はややあやしい行動を取っていたとも言われています。途中からだんこ討伐を主張し始めました。(皇道派に)同情的だったとされた山下奉文は天皇に嫌われて、その後拝謁できませんでしたね。武藤章は映画ムルデカにも出てきましたね。バンドンで今村中将と会談した大本営派遣の軍事局長。
いわゆる皇道派といわれる人たちに対中国戦争反対者がおおかった、ということはよく言われることです。このせいで、もし皇道派が力をにぎっていれば後の日華事変も
なかったというひともいますが。
確かに日華事変を起こした人たちは統制派といわれた人たちです。いけいけ軍人は武藤等の統制派です。(山村文夫という人はこの意見を強く言ってます。−虚妄の歴史ー経済往来社) この点はヒストリカルイフですから。
権力をにぎった統制派が2・26を発言抑止に使ったのはたしかでしょう。軍の性格が2・26以降変わってしまったという「皇道派」フアンもいます。つまり国民の軍隊であることをやめてしまったと言うこと。
農村の悲劇は、これから解消されるところだったのでは?
がんがん成長、については、事件に参加して死刑になった安田優少尉が後の取り調べの中でこういっています。
「軍需インフレで儲かっているのは財閥のみであり、この意味で軍部は(財閥の手先の)政党の温床になっている。北海道の兵のごときは食物は軍隊の方がよいから地方に帰って農をやることを厭うている。特に北海道の北見の方に行くと、12月ころまでに3月くらいまで食う馬鈴薯も(米麦はもちろんなし)ないという有様であります。」
>また、青年将校達が殺してしまった人達は、天皇のお気に入りだったと聞きます。
結局、彼らは「国賊」扱いされていますよね?
「君側の奸」は天皇にとっては「股肱の臣」だったのですね。これについて青年将校の超過激派・磯部浅一は、天皇が「日本もロシアのようになりましたね」といったのを間接的に獄中で聞いて、こういってますね。
「このことを聞いて私は数日間気が狂いました。
「龍袖にかくれて付議を重ねて止まぬ重臣、元老、軍閥等のためにいかに多くの国民が泣いているいるか。天皇陛下、この惨憺たる国家の現状をご覧ください、陛下が私どもの義挙を国賊叛徒の業とお考え遊ばされているらしいうわさを刑務所の中で耳にして、私どもは血涙をしぼりました。・・・なんというざまですか。皇祖皇宗におあやまりなさいませ」
同じ点についてやはり安藤輝三はこんな辞世の歌を残しております。
「国体を守らんとして 逆徒の汚名
万斛の恨
涙も枯れぬ
ああ天は」
青年将校達の天皇陛下に対する精神的状況については久世光彦の「陛下」(新潮文庫)(これは小説ですが)
>実際の情勢が読めず
むしろ兵士達と接していた彼らは実際の世の中の情勢は良く知っていたのでは。ただし精神的には一種純粋培養的とはいえたかも。安藤も庶民を愛しながら庶民というものにたいする違和感があったともいわれています(暁の戒厳令ー安藤輝三と2・26事件)
あのとき殺された人たちの中には純統制派といわれている人達はいません。永田鉄山の子分武藤章等が統制派ですね。石原莞爾も最初はややあやしい行動を取っていたとも言われています。途中からだんこ討伐を主張し始めました。(皇道派に)同情的だったとされた山下奉文は天皇に嫌われて、その後拝謁できませんでしたね。武藤章は映画ムルデカにも出てきましたね。バンドンで今村中将と会談した大本営派遣の軍事局長。
いわゆる皇道派といわれる人たちに対中国戦争反対者がおおかった、ということはよく言われることです。このせいで、もし皇道派が力をにぎっていれば後の日華事変も
なかったというひともいますが。
確かに日華事変を起こした人たちは統制派といわれた人たちです。いけいけ軍人は武藤等の統制派です。(山村文夫という人はこの意見を強く言ってます。−虚妄の歴史ー経済往来社) この点はヒストリカルイフですから。
権力をにぎった統制派が2・26を発言抑止に使ったのはたしかでしょう。軍の性格が2・26以降変わってしまったという「皇道派」フアンもいます。つまり国民の軍隊であることをやめてしまったと言うこと。
これは メッセージ 5983 (saru_timbanco2000 さん)への返信です.
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