「赤城さん」
投稿者: goodytwoshoses 投稿日時: 2001/05/05 00:17 投稿番号: [4889 / 203793]
「IT」のところでは失礼しました。
なんだか自分のせいで滅茶苦茶になっちゃって....。
という事でここで「戦艦大和」の話をしましょう。
自分の「爺ちゃん」はまさに「叩き上げの職工」だったんです。頑固でどうしようもない人でしたが、手先の器用さは今の我々には想像もつかないほど凄かった。
なんでもない「鉄の板」から見事なナイフや包丁を作ってくれた。
戦後は皮肉な事に「進駐軍」の元で働き、その後は「時計職人」になりました。
しかし死ぬまで「あの主砲」を作ったことは爺ちゃんの誇りでした。
そう言えば「空母赤城」も呉で建造されたんですよね。もしかしたら「対空砲火」の部分は爺ちゃんが作ったかもしれませんね。
ところで「呉」には来た事が御有りですか?
今度是非行ってみて下さい。「入船山記念館」や今度出来る「海事博物館」「海軍墓地」少し足を伸ばせば「江田島の海軍兵学校」があります。あそこの「資料館」は良いですよ。
「特攻」に対する考え方は人それぞれでしょうが、自分はあのときの戦況や日本の体制から考えて、やむをえない戦法だったと考えます。
それに散っていった彼らは「日本は負ける」と考えていても不思議ではない。
しかし自分の命と引き換えに、もしかしたら勝てるかも知れないという願望にも似た解釈をして「自我を抑えた」
「大和」は沈まなければならなかった、それがあの艦の生まれてきた理由。
そして、日本人はあの艦を踏み台に新しい時代を迎える事を「覚悟」した。
「破壊と創造」と言う言葉を使うなら「破壊の象徴」としての役割は充分に果たした。
自分は、彼らの事を卑下し罵る「馬鹿左翼ども」には目もくれず、ただ感謝し彼らの偉業、気概を後世に語り継ぐ事こそ使命と考えます。
でも「バカ左翼」には黙っていられないのも事実ですが....。
これは メッセージ 4877 (shinkuuboakagi さん)への返信です.
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