>>満州
投稿者: shinkuuboakagi555 投稿日時: 2002/04/09 22:01 投稿番号: [45013 / 203793]
>敗戦後、日本人が満州から引き揚げる時、満州人の小規模事業主や満州国中堅官僚達のかなりの人達が「日本人がいなくなって中国に戻ったら、満州の近代的な生活はお仕舞いだな」と言ったそうですよ。
都市部だけでなく、日本の農本主義者や満州に設立された大同学院の卒業生たちは満州の奥地にまでおもむき、現地農民に農業の指導などもしました。
これらの青年たちは満州に道義国家を建設しようと理想に燃えていた。彼らは日本軍もやってこないような奥地にまで入り込んだ。
その一端は大牟羅良の「物言わぬ農民たち」(岩波新書)にも乗っています。
これらの日本人たちを見て,日本軍の中にも、匪賊討伐は後回しだ,と言って農民たちの農作業を手伝ったりした日本軍の部隊もありました。
その農本主義者の中の一人、蛸井元義は任地が変わるごとに厳しい満州の地で死んだ子供の墓を残してきたといっています。
肺病を病み,日本に帰ってきた死んだ蛸井につき,彼の知り合いは,蛸井はきっと、愛児同様満州の土となって彼の道義国家の礎となりたかったにちがいないといってます。
満州建国を日本帝国主義の侵略と規定する歴史のほかに、蛸井等の満州建国史も書かれてよいはずである(末松太平・私の昭和史)。
これは メッセージ 44977 (el_salvador_55 さん)への返信です.
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