東郷提督は
投稿者: hontokasila 投稿日時: 2002/01/20 10:07 投稿番号: [32991 / 203793]
バルチック艦隊を一隻もウラジオストックに入れないことが戦略目標であると正しく認識していました。
このためには、自軍の艦隊が半減しても良いという考えです。
ですから東郷ターンは戦術的には疑問があっても、戦略的には正しかったのです。
秋山参謀の戦術では、少数の艦艇はウラジオストックに逃げられたと思います。
当時の陸軍はほとんど戦力が枯渇し、内地からの補給は絶対条件でした。
例え少数といえどもロシア艦隊が生存し、ゲリラ的に日本の補給線を脅かすことは許されなかったのです。
だから東郷提督は「海戦の勝利」ではなく、「敵艦隊の殲滅」をめざしたのです。
そのためには、一見博打とも思える東郷ターンで敵艦隊の進路を塞ぐ必要があったのです。
また、ロシア海軍は黒色火薬を採用しており、日本軍の用いた下瀬火薬と比べると、威力が少なく、おまけに発射時に生じる黒煙で次発発射時の測距に困難が生じるものでした。
軍学に明るい東郷はそういったことを知ったうえで、一見無謀と思える作戦を実行したのでしょう。
ただし、後年の東郷は致命的なミスを犯しました。
若手参謀が主力艦不足を補うため、航空戦力の充実を訴えたのに対し、「そのようなおなごの戦術で戦が勝てるか」と一蹴し、以後、日本海軍は大艦巨砲主義を採用し、大和、武蔵の建造につながったのです。
人間は無謬ではありません。
乃木は指揮官としては決して有能とはいえませんでしたが、晩節は決して政治・軍事に口を挟まず、身を慎んで暮らしていました。
その生き様は日本人の精神的支柱となったと思います。
人間の評価というものは、一生をみてみないとわからないものですね。
これは メッセージ 32963 (gunsintakayanoriko さん)への返信です.
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