私の父の言葉
投稿者: manntennbosi 投稿日時: 2001/10/08 22:08 投稿番号: [23452 / 203793]
貴方の気持ちは解らないでもないですが、少し、言葉を選んだ投稿が望ましく思います。日帝といわれる時代に北鮮で鴨緑江ダムの建設に従事した私の父の言葉を貴方に送りたい。そして、当時の日本人の気持ちを思いやってはくれませんか?
鴨緑工ダムは、当時の日本が国威を懸けて建設したダムで「優に百年は持つように、心をこめてつくった。」ともうしていました。
現場は、金日成率いる抵抗勢力も妨害工作をするなかなか困難なとこだったようです。「な〜んの、鮮人ゲリラが来たら、これで撃退してやる。」と父にピストルを見せていた土方の班長も激闘の末、殺されるような殺伐とした荒涼な情勢でした。
私が父に「お父さんも鉄砲持ってたの?」と聞くと「武装したいという気持ちはあったが生半可な武装は、逆に危険だと感じたし、本当に、朝鮮の人たちの為に成る事をしているという自負心もあり、丸腰で胸を張って、襲撃してくるのなら殺されてやろうと覚悟を決めていた。」とこたえました。でも、そのときの恐怖心は、彼のトラウマになっていたと思います。老齢性の妄想がでるほどボケたとき「朝鮮人がきた!」と真夜中にたたきおこされましたから・・・。
また、「金日成といま呼ばれてる奴は、偽者だ。年齢が合わないし、当時、回ってきていた手配書の風貌がまったく違う!」と断言していました。
戦前の日本人は、今、毛虱どもに言いたいように言われていますが、なかなか、腰の座った人が多かったようです。
そして、工事が終わって、日本に帰ってきたとき、父は、大の朝鮮人嫌いに成っておりました。朝鮮を手放したのは、敗戦で
えられた、数少ない利点だったそうです。
この頃、ここを覗いてみて「本当に良かった。」と同意することしきりの私です。
何言ってるのか解らんだぶんになってしまったけど、気が向いたら又投稿します。
あまりに昔のことが忘れ去られているようなので・・。
これは メッセージ 23445 (korean__pakuri_kokka さん)への返信です.
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