Re: 猫投殺
投稿者: valltan2003 投稿日時: 2011/02/19 05:05 投稿番号: [202006 / 203793]
1968年2月12日、フォンニィ・フォンニャット村を訪れた韓国海兵隊第2海兵師団(青龍部隊)第1大隊は婦女子を集めると至近距離から銃殺、刺殺するとともに火を付け立ち去った。ところが、その日のうちにアメリカ海兵隊員4名、南ベトナム兵26名からなる部隊が現場に到着してしまった[7]。アメリカ・ベトナム兵は生存者へ手当を施し、病院へ搬送した[7][2]。また、J・ボーン伍長によって事件現場の撮影が行われた[7]。事件後に生き残った村人たちは犠牲者の遺体を国道1号線に並べて抗議の意思を示した。
当時のフォンニィ・フォンニャット村はアメリカ海兵隊と友好関係にあり、村の男たちはアメリカと同盟関係にある南ベトナム軍(en)に参加していた[8]。続く2月25日には韓国海兵隊によってハミの虐殺(en)が引き起こされ、ハミ村の婦女子・老人135名が虐殺された[9]。
事件を受けてアメリカ陸軍参謀総長ウィリアム・ウェストモーランド大将が韓国軍に調査報告を繰り返し求め続けたため[10]、韓国軍は韓国海兵隊の軍服を着たベトコンによる陰謀であったとアメリカ軍に報告した[10]。フォンニィ・フォンニャットの虐殺当時の韓国では韓国政府が行った聞慶虐殺事件、保導連盟事件では共産主義者に罪を着せることで虐殺事件を闇に葬りさることに成功していた[11][12]。韓国軍からの報告を受け取ったアメリカ軍では、アメリカ軍監察官のロバート・モレヘッド・コック大佐による調査が行われ、1970年1月10日に韓国海兵隊による虐殺事件であったことを明らかにした報告書が提出された[3]。
韓国軍によって引き起こされた数々の虐殺によって少なくとも民間人9,000人が殺害されており[13]、アメリカ軍内部では韓国軍を完全な後方部隊とするかベトコンが完全に支配していて誰を殺しても問題とされない地域に配置転換するべきであるとした検討が行われた[14]。また、1969年2月には事件の遺族達によって南ベトナム議会に賠償を求める請願書が提出されている[7]。
これは メッセージ 201984 (doronpa95 さん)への返信です.
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