ノモンハン事件 1939
投稿者: apoon_5 投稿日時: 2006/06/11 05:20 投稿番号: [192971 / 203793]
日本の兵は強い、っていわれちゃった♪
<当時でも旧式、日本は5連発の三八式歩兵銃で戦う。明治38年採用w>
これは日ソの、ソ満国境争いである−ハルハ川(日)それより東20km。
徹底的にソ連を撃破する自信があるから、いまこそ
「我北辺の武威を発揚すること」が
「日英会談を好転せしむる唯一の方法と謂うべし」。
(関東軍参謀辻政信
ノモンハン事件機密作戦日誌
関東軍参謀部第一(作戦)課)
関東軍は中央に意見具申・了解を求めず攻撃命令、事後報告にとどめた。
「一個師団ぐらいそう一々やかましく言わないで
関東軍にやらせたらいいぢゃないか」(板垣陸相)
ソ連鉄道の位置から、輸送力や補給能力においてソ連が著しく不利であり、
事件を拡大するようなことはないだろうと関東軍は見ていた。
しかし、ソ連軍の輸送能力は関東軍の予想をはるかに超えていた。
日露での勝ちにおごった日本側の誤算により、関東軍は甚大な被害を被る。
当時、日本軍の予期に反して
ソ連は戦車・飛行機等をはじめとする、装備の近代化を済ませており、
ソ連軍の雨のような砲弾で日本軍は山のような犠牲者を出す。
戦況打開のため陸軍旭川第七師団投入。
これは日露・満州事変の激戦地で戦った有力師団である。
しかし、細切れ投入で片端からやられる。
死傷病率3割以上の2万人。
結局、第二次大戦勃発により、大本営の強引な停戦協定で幕引き。
「負傷し、捕虜になった将校は自決が要求された。
独断退却や捕虜を絶対許さないという
頑なな精神主義と、非人間性が、この後も多くの悲劇を生む」
(昭和の歴史、藤原彰)
国は、死者7696人のうち、3000人以上の遺体を収容してない
戦友の遺骨収集が2004年から始まる。
「名誉の戦死なんてもんじゃないよ」(当時の歩兵)
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