Re: 恥の上塗りapoon5の歴史観
投稿者: kohshien21c 投稿日時: 2006/04/02 18:41 投稿番号: [191470 / 203793]
コピペだが、
朝鮮半島が中華帝国と宗属関係になったのは、統一新羅の時代からだった。
唐の援助によって半島を統一できたため、自ら「大唐国新羅郡」と名乗って卑下し、唐王朝への忠誠を誓ったのである。
近代韓国の「文学の父」と言われる季光洙も、半島の事大主義が始まったのはこの時であると唱えている。
これ以降、中国歴代王朝の興亡に振り回されることになる。
朝鮮半島と中国の帝国の宗属関係も時代によって強弱があった。
統一新羅やその後の高麗朝までは、冊封され、朝貢はあったものの、比較的自主性は守られていた。
中原の王朝が朝鮮の内政にまで干渉しはじめるのは元からである。
しかし、この時もまだ、大モンゴル帝国が世界国家として統監統治を行ったにすぎず、
実際には内面指導のみのゆるい支配であった。
本格的に中華の干渉を受けるようになったのは、大明国帝国時代の李朝である。
李朝の太祖季成桂は、1392年に「易姓革命」にて高麗王朝を簒奪したが、
実権支配の獲得を明の太祖に承認してもらうために国家主権を全て明に売り渡し、
明の属国と決め込んだのであった。
そして、
1637年に朝鮮が清国に結ばされた和約の内容は、
『1.朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと
2.朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清へ引き渡すこと
3.王の長子と次男、および大臣の子女を人質として送ること
4.清が明を征服する時には、求められた期日までに、遅滞なく援軍を派遣すること
5.内外(清)の諸臣と婚姻を結び、誼を固くすること
6.城郭の増築や修理については、清に事前に承諾を得ること
7.清に対して黄金100両、白銀1000両と二十余種の物品を毎年上納すること
8.清国皇帝の誕生日である聖節・正朔である正月一日・冬至と慶弔の使者は、明との旧例に従って送ること
9.清が鴨緑江の河口にある島を攻撃する時に、兵船五十隻を送ること
10.清からの逃亡者を隠してはいけない
11.日本との交流を許すこと』
7項目目の「二十余種の物品」の中には、何十人もの処女の娘も入っていた
これは メッセージ 191467 (aldebaran09i さん)への返信です.
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