武士の文化と、スポーツマンシップ
投稿者: Mishi_Mishi_01 投稿日時: 2006/03/21 21:08 投稿番号: [190977 / 203793]
司馬遼太郎が何かの本で書いていましたが、やはり日本人が考える“理想の人間像”、“生き方の模範”というのは、武士のそれなのだろうと思います。
もちろん、講談や時代劇に出てくるお侍さんの姿と言うのは、後世の創造も多々あるのでしょうが、そうはいっても近代までの数百年、日本人は“侍の生き方”を人間の手本としてきました。
江戸中期以降、武士は読書階級でもありましたが、やはり第一義的には“戦闘者”であった訳ですから、当然、彼等の間では、戦いに際しての覚悟や、敗北したときの態度、敵に対する礼節などの規範が存在しています。
これが近代になって、西洋文明を取り入れるとき、欧米で発達したスポーツの概念、つまり『スポーツマン
シップ』を理解するために、有利に働いたのは間違いないでしょう。日本人は開国して、西洋のスポーツマンシップに接した時、『なんだ、それならば俺たちには、昔から同じようなものがあるぞ。』と感じたのではないでしょうか。
ところが中国や韓国の伝統的価値観である儒教文化では、現場で身体を労して働く人間を蔑視する傾向がありますから、スポーツの本質がなかなか理解できません。
士大夫とか君子とか、あるいは両班という連中くらい、スポーツマンシップとかけ離れた人間はいないのですよ。
あいつらはヒマさえあれば、敵対する人間のあら捜しと正邪の議論ばっかりやっています。
中国人や韓国人にとっては、スポーツもまた政治の延長であるか、あるいは“民族の栄光”を主張するための道具に過ぎないのです。
今回のWBCでも、予選での2回の敗北を素直に認めて屈辱に耐えたイチロー選手の態度に比べて、韓国人選手が準決勝での敗北を『ルール(規定)が間違っている』、『日本に負けたとは思っていない』と述べたことは象徴的です。
恐らく日本人の皆さんには、『韓国人というのは、なんとみっともない言説を語る連中のか……、』と感じられただけの事でしょうが。
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