なぜ韓国人は、嫌われるのか?

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Re: Jap0の「大いるぼん帝国まんせー」?

投稿者: apoon5 投稿日時: 2006/02/03 05:16 投稿番号: [188252 / 203793]
台湾の史実を正確に把握する ②
教科書『認識台湾』(歴史篇)を読む

第七章   日本植民統治時代の政治と経済
第二節   政治と社会の統制
総督専制の統治体制


  典型的な警察政治

  日本植民地統治の初期、総督府は武装抵抗勢力を鎮圧して治安を維持するため、
絶えず警察力を拡大し、全台湾に厳重な警察網と警察力を配備した。
同時につぎつぎと警察の権限を拡大し、すべてを管轄するようになった。警察の権限は以下の通りである。
一、法律の執行と公共秩序の維持。
  たとえば公共の集会を監視し、軽度な刑事事件を審理し、アヘンの吸飲を取り締まり、小型金融業などを管理した。
二、地方行政府の一般行政業務推進への協力。
たとえば条例の広報、収税、戸籍の管理、戸籍調査などをおこなった。
三、先住民部落の管理。
  総じて、地方行政は警察が中心となり、いかなる業務にも警察が関与し、
警察が台湾社会を統制する強大な力を有し、人々はその専制的な処置と
台湾民衆の日常生活までへの関与を畏怖し、このため「典型的な警察政治」と呼ばれた。

戦争と皇民化

  一九三七年、中日戦争が発生してから、日本は戦争の必要性から台湾で
「皇民化運動」を推進し、日本語使用の奨励、日本式生活習慣の普及、日本姓への改名、
日本神社への参拝などを進め、台湾人に日本国民としての愛国心と
犠牲的精神を扶植しようとした。間もなく台湾人からも従軍者を募集し、
最終的には徴兵制度まで施行し、その結果、台湾籍日本兵は総数二十余万人に達した。

日本植民地統治の初期、総督府は台湾を日本の経済発展に組み込むため、
積極的に各種の経済改革と建設を促進した。

一、土地制度の改革: 耕地面積を調査し、新たに土地所有権を確定し、
耕作地税収を大幅に増加させた。
二、貨幣と度量衡制度の統一: 日本国内の制度に合わせ、
新たな貨幣の発行と新たな度量衡機器の製造を統一した。
三、交通網の整備: 各地にくまなく郵便局を開設し、
郵便・電報・電話の業務を執りおこなった。
自動車の通行できる道路を修築し、基隆から高雄にいたる縦貫鉄道を建設し、
台湾の各地域間の交通運輸網を改善した。基隆港と高雄港を改築して
近代的設備を整えた港に整備し、万トン級船舶の出入港を可能にした。
このほか部分的に媽宮城(現在の澎湖馬公)を取り壊し、馬公港を建設した。
四、人口調査: 一九〇五年、台湾史上初の人口調査を実施し、
全台の総人口は約三百十万人であった。一九一五年より五年ごとに定期調査をおこない、
台湾の人口状況を確実に掌握した。

公学校を主とした教育施設
日本の植民統治時期、総督府は植民地政策貫徹の道具として、西洋の新しい教育制度を確立し、
差別待遇と分離政策を原則に、初等教育学校を主な施設(注①)として、日本語を最重要視した
しかし、台湾人にとっての日本語は生活言語とまでは言えず、単に台湾が
「二カ国語を話す」社会になっただけであった。台湾人は一貫して、日本語を外国語と見なし、
日本語を身につけたからといって同化したわけではなかった。


政治改革の要求

  台湾住民による武装抗日運動失敗後、一九二〇年代から新知識人が団体を組織し、
集会や講演、請願、抗議などの合法的手段で、十余年にわたる社会運動を展開した。
彼らの最大の主張は、不合理な植民地政治に対する改革要求であった。

  一九二一年から三四年にかけて、林獻堂らの指導のもと、台湾人は十五回もの
署名請願をおこない、民権の取得、自治組織「台湾議会」の設置、議員の民選を訴えた。
しかし、日本政府はそれを顧みず、受け入れようとしなかった。
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