Jap0の「大いるぼん帝国まんせー」⑤
投稿者: jap0criminal 投稿日時: 2006/01/30 09:45 投稿番号: [188145 / 203793]
<特攻の正体>
「敵の航空母艦一隻に対して、我は一機の体当たりでこれをほふる
ことができるのが日本の強みだろう」
三職兼任の東条首相の言葉を真っ先に実行したのが、特攻生みの親といわれる
第一航空艦隊司令長官の大西瀧治郎。
同副官の門司親徳は
「当時それが末期的現象とは思わず、みながそう思えば戦局も変わるかもしれんとさえ思い、
米が特攻を恐れたおかげで本土決戦がなかった、そう思って納得している」
'44年7月サイパン島守備隊4万が玉砕して東条内閣退陣、
10月に沖縄、台湾の空襲が始まり、台湾沖航空戦が起こった。
台湾の作戦室では米空母13隻撃沈とか夢のような戦果が黒板に並ぶ。
「手柄争いだったね」
が、壊滅したはずの米太平洋艦隊がレイテ沖に現れ(爆)、日本海軍は惨敗する。
「この体当たり特攻隊を、神風特別攻撃隊と命名し・・・・・」
ルソン島海軍第201航空隊本部での、'44年10月20日の大西司令長官の訓示である。
25日、マニラの司令部に、米空母一隻撃沈、二隻大破の電報が届く。
「かいがあった」
大西司令官の呟きを門司副官が聞く。
'45年四月、沖縄上陸戦
鹿児島の知覧基地等から次々特攻機が飛び立つ
台湾航空指令本部に軍令部直属の高雄警備府参謀から繰り返し暗号の特攻命令が下る。
「じゃ、あした5機ね」って簡単に言われている感じが堪えられなかったという副官。
軍中央の手柄争い、ずさんな作戦。
眼前で前線が崩壊してゆく。
これは メッセージ 187899 (jap0criminal さん)への返信です.
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