日本のクビキからの解放 、【お札】編
投稿者: acura95_87 投稿日時: 2005/11/09 19:35 投稿番号: [185400 / 203793]
高度な原版製作技術は、スーパーコピー偽100ドル札の北朝鮮からパクッたの?譲って貰ったの?
>韓国内には銀行券の原版を作れる技術がなく、英国の銀行券製造会社に依頼
>原版の制作を日本に依頼した。 83年、李珥の顔は、頬にもう少し肉がつき、大らかな姿に変わったが、なぜか不自然だとの見方が出てきた。 「倭色(和風)」が濃い、とのことだった。
>独立以降、発行された韓国紙幣はいずれも、日本の紙幣の残滓がそのまま残っていた。
>日本の残滓をすっかり洗い落とした初の韓銀券、というところが自慢できる。 (お笑い)
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《【噴水台】 5000ウォン札》
5000ウォン(約500円)札は1972年7月1日に世の中に出てきた。 兄弟の1000ウォン札(75年8月)はもちろん、1万ウォン札(73年6月)よりも早い。 同じ年にお目見えするはずだった1万ウォン札の出生が1年遅れるにつれ、本意ではなかったが、長兄になった。
5000ウォン札は他の兄弟より、たくさんの試練にあった。 生まれてから5年後に顔かたちを完全に改めなければならなかった。 李珥(イ・イ、1536〜1584、朝鮮中期の学者)の肖像画が問題だった。
面長で小さな顔に大きな瞳と高い鼻、典型的な西欧型だった。 当時、韓国内には銀行券の原版を作れる技術がなく、英国の銀行券製造会社に依頼したが、外国人の彫刻家は、李珥を、西洋人が程子冠(朝鮮時代の士大夫らがかぶっていた冠)をかぶっているように描写したのだ。 77年の新しい5000ウォン札は、李鍾祥(イ・ジョンサン)画伯が書いた李珥の標準肖像を使った。
再び6年が流れた。 紙幣の規格を変え、今回は原版の制作を日本に依頼した。 83年、李珥の顔は、頬にもう少し肉がつき、大らかな姿に変わったが、なぜか不自然だとの見方が出てきた。 「倭色(和風)」が濃い、とのことだった。
5000ウォン札だけの誤りではなかった。 独立以降、発行された韓国紙幣はいずれも、日本の紙幣の残滓がそのまま残っていた。 文字の配列や職印、白い枠などがそれである。 中央銀行・韓国銀行の前身である朝鮮銀行が、日本による植民支配時代(1910〜1945)、日本の貨幣を発行していた慣行が続いていたせいだ。
2日前に新しい5000ウォン札の印刷が開始された。 なんといっても、日本の残滓をすっかり洗い落とした初の韓銀券、というところが自慢できる。 それにもかかわらず、早くも5000ウォンの新札があれこれ取りざたされている。
紙幣の固有番号(記番号)をハングルの代わりにアルファベットで表記したとし、もう一つの国籍をめぐる議論が広がっているのだ。 5000ウォン札の試練が終わるには、まだもう少し時間が必要なもようだ。
中央日報電子版より 2005 11 9
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=69433
>韓国内には銀行券の原版を作れる技術がなく、英国の銀行券製造会社に依頼
>原版の制作を日本に依頼した。 83年、李珥の顔は、頬にもう少し肉がつき、大らかな姿に変わったが、なぜか不自然だとの見方が出てきた。 「倭色(和風)」が濃い、とのことだった。
>独立以降、発行された韓国紙幣はいずれも、日本の紙幣の残滓がそのまま残っていた。
>日本の残滓をすっかり洗い落とした初の韓銀券、というところが自慢できる。 (お笑い)
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《【噴水台】 5000ウォン札》
5000ウォン(約500円)札は1972年7月1日に世の中に出てきた。 兄弟の1000ウォン札(75年8月)はもちろん、1万ウォン札(73年6月)よりも早い。 同じ年にお目見えするはずだった1万ウォン札の出生が1年遅れるにつれ、本意ではなかったが、長兄になった。
5000ウォン札は他の兄弟より、たくさんの試練にあった。 生まれてから5年後に顔かたちを完全に改めなければならなかった。 李珥(イ・イ、1536〜1584、朝鮮中期の学者)の肖像画が問題だった。
面長で小さな顔に大きな瞳と高い鼻、典型的な西欧型だった。 当時、韓国内には銀行券の原版を作れる技術がなく、英国の銀行券製造会社に依頼したが、外国人の彫刻家は、李珥を、西洋人が程子冠(朝鮮時代の士大夫らがかぶっていた冠)をかぶっているように描写したのだ。 77年の新しい5000ウォン札は、李鍾祥(イ・ジョンサン)画伯が書いた李珥の標準肖像を使った。
再び6年が流れた。 紙幣の規格を変え、今回は原版の制作を日本に依頼した。 83年、李珥の顔は、頬にもう少し肉がつき、大らかな姿に変わったが、なぜか不自然だとの見方が出てきた。 「倭色(和風)」が濃い、とのことだった。
5000ウォン札だけの誤りではなかった。 独立以降、発行された韓国紙幣はいずれも、日本の紙幣の残滓がそのまま残っていた。 文字の配列や職印、白い枠などがそれである。 中央銀行・韓国銀行の前身である朝鮮銀行が、日本による植民支配時代(1910〜1945)、日本の貨幣を発行していた慣行が続いていたせいだ。
2日前に新しい5000ウォン札の印刷が開始された。 なんといっても、日本の残滓をすっかり洗い落とした初の韓銀券、というところが自慢できる。 それにもかかわらず、早くも5000ウォンの新札があれこれ取りざたされている。
紙幣の固有番号(記番号)をハングルの代わりにアルファベットで表記したとし、もう一つの国籍をめぐる議論が広がっているのだ。 5000ウォン札の試練が終わるには、まだもう少し時間が必要なもようだ。
中央日報電子版より 2005 11 9
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=69433
これは メッセージ 185286 (acura95_87 さん)への返信です.