大院君から命狙われてた 閔妃
投稿者: acura95_87 投稿日時: 2005/10/28 09:02 投稿番号: [185186 / 203793]
第2子が高宗となった摂政大院君と大院君の妻の実家の養女だった高宗の側室閔妃らによる
お互いの子どもを王世子にしようとした事を含めた熾烈な政権争い。
李氏朝鮮では、王の正室や側室一族などの外戚の権勢、王命により、死なされた女性も随分といたような。
日本浪人と朝鮮軍の訓練隊が宮中に乱入しなくとも、朝鮮人同胞から死を与えられてたかも。
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《明成皇后のハングル手紙2通を公開》
政敵だった大院君が失脚(1873年)した直後、明成(ミョンソン)皇后(閔妃/1851−1895)が兄に送ったハングルの見舞状2通が公開された。
この手紙で明成皇后は不安な気持ちを打ち明けている。大院君の陰から脱したものの、当時の物騒な国内外の政治状況のためであったとみられる。
いつごろ書いた手紙だろうか。日付は書かれていないが、2通とも1874年2月に生まれた純宗について触れている。閔升鎬は1874年に爆死したため、手紙はその年に書かれたものとみられる。明成皇后の手紙は、現在3−4通ほど残っているという。
手紙をやり取りした2人の運命は、いずれも悲劇に終った。
大院君の義理の弟で、養子縁組によって明成皇后の兄になった閔升鎬は、高宗の勤王勢力として権勢をふるったが、小包爆弾事件で母親、息子とともに死亡した。
当時、この爆弾テロの背後に大院君がかかわっているという噂が広まった。1895年、明成皇后は日本人の刺客に殺害された。
朝鮮日報電子版より 2005 10 28
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/10/28/20051028000001.html
これは メッセージ 1 (retribution さん)への返信です.
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