在日の鑑、この日本人を見習ったら
投稿者: acura95_87 投稿日時: 2005/08/16 20:07 投稿番号: [183288 / 203793]
この方数年前も記事になってたけど、よほど韓国人になりたがる人いないみたいです。
>「私のために何もしてくれたことのない日本より、私を育ててくれた韓国で、韓国人として住む方が自然だと判断した」
日本人はどんな所でも 創意工夫して頑張ります。網切一郎さんは言ってるんだよ。
親から切り離し両親だけ強制送還させる 非人道的な韓国側が問題だろうに、
抗日じゃないよ克日って記事にした方がいいよ。 ま、日本を克服出来ないからどうでもいいか。
「私のために何もしてくれたことのない韓国より、私を育ててくれた日本で、日本人人として住む方が自然だと判断した」と 在日の皆さんご唱和を。
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《【ピープル】日本人の血筋で60年「韓国で生きる」網切一郎さん》
「反日ではなく抗日の意志を固める日でなければならないのに…」−−。
日本人の血筋に生まれ、韓国人として暮らす「きのこ博士」こと網切一郎さんは、8.15光復節のたびに心を痛めている。
彼は反日の意味を「無条件嫌いだと排斥する感情的、破壊的対応」と説明した。一方、抗日は「競争を通じて日本を勝ち抜こうという未来指向的誓い」と解釈した。
網切さんにとって1945年8.15は「生んでくれた恩」のある日本を捨てて「育ててくれた恩」 のある韓国を選択することになった劇的な事件だった。
彼は42年、慶南金海で日本人の警察幹部(警務課長)の一人っ子として生まれた。しかし光復で自宅軟禁中だった親が強制送還されてしまい、隣りの家に遊びに行っていた3歳の子供は突然、天涯孤独になってしまったのだ。
そのときから隣りのヤンさん家族に面倒を見てもらい、戸籍にも「ヤン・イルラン」という名前で記載された網切さんは、29歳の70年、日本の鹿児島県に住む父親と再会し、日本国籍を回復したが、翌年、韓国に帰化した。
「私のために何もしてくれたことのない日本より、私を育ててくれた韓国で、韓国人として住む方が自然だと判断した」と説明した。
韓国に根付こうとする努力も特別だった。80年から2年間、内松里里長を任命され梁山郡守から里長状を授与された。94年には約20世帯の内松里全体をきのこ村に一変させた。
このような功労で99年、新知識人賞、2001年、新農民賞、大統領賞など、賞を10以上授与されている。
網切さんは「60という生涯を韓国国籍で一生懸命暮らしてきたので、これからはもう『日本人』という肩書きを外してくれたらいいのですが…」と話していた。
梁山=イ・キウォン記者 <keyone@joongang.co.kr>
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【コレコレア】さんのレスより
この記事は、2003/02にも記事になってるね、当時、近所の韓国人(朝鮮人)に軟禁状態に置かれていたとある。
http://www.kodensha.jp/knew/d12/a30203-1.htm
元の記事によると>8・15解放直後近所の韓国人らにより,自宅軟禁された日本人両親は1ヶ月余りの間息を殺し機会を窺って9月中旬ぐらいかろうじて家を抜け出したが当時四才で隣に遊びに出て行った網切氏をついに探せないまま日本行帰国船に乗ってしまい,網切氏は不意に孤児になった.
韓国人に帰化した理由は、
元記事では>“日本人両親が既に亡くなった境遇で成長と生活の基盤になってくれた韓国から韓国人に生きていくのが自然だと判断した為”と帰化理由を説明した. これなら、なるほどそうかと、納得いく罠。要は、韓国人の犯罪により、家族に引き離された、離散家族の悲劇な訳。
>「私のために何もしてくれたことのない日本より、私を育ててくれた韓国で、韓国人として住む方が自然だと判断した」
日本人はどんな所でも 創意工夫して頑張ります。網切一郎さんは言ってるんだよ。
親から切り離し両親だけ強制送還させる 非人道的な韓国側が問題だろうに、
抗日じゃないよ克日って記事にした方がいいよ。 ま、日本を克服出来ないからどうでもいいか。
「私のために何もしてくれたことのない韓国より、私を育ててくれた日本で、日本人人として住む方が自然だと判断した」と 在日の皆さんご唱和を。
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《【ピープル】日本人の血筋で60年「韓国で生きる」網切一郎さん》
「反日ではなく抗日の意志を固める日でなければならないのに…」−−。
日本人の血筋に生まれ、韓国人として暮らす「きのこ博士」こと網切一郎さんは、8.15光復節のたびに心を痛めている。
彼は反日の意味を「無条件嫌いだと排斥する感情的、破壊的対応」と説明した。一方、抗日は「競争を通じて日本を勝ち抜こうという未来指向的誓い」と解釈した。
網切さんにとって1945年8.15は「生んでくれた恩」のある日本を捨てて「育ててくれた恩」 のある韓国を選択することになった劇的な事件だった。
彼は42年、慶南金海で日本人の警察幹部(警務課長)の一人っ子として生まれた。しかし光復で自宅軟禁中だった親が強制送還されてしまい、隣りの家に遊びに行っていた3歳の子供は突然、天涯孤独になってしまったのだ。
そのときから隣りのヤンさん家族に面倒を見てもらい、戸籍にも「ヤン・イルラン」という名前で記載された網切さんは、29歳の70年、日本の鹿児島県に住む父親と再会し、日本国籍を回復したが、翌年、韓国に帰化した。
「私のために何もしてくれたことのない日本より、私を育ててくれた韓国で、韓国人として住む方が自然だと判断した」と説明した。
韓国に根付こうとする努力も特別だった。80年から2年間、内松里里長を任命され梁山郡守から里長状を授与された。94年には約20世帯の内松里全体をきのこ村に一変させた。
このような功労で99年、新知識人賞、2001年、新農民賞、大統領賞など、賞を10以上授与されている。
網切さんは「60という生涯を韓国国籍で一生懸命暮らしてきたので、これからはもう『日本人』という肩書きを外してくれたらいいのですが…」と話していた。
梁山=イ・キウォン記者 <keyone@joongang.co.kr>
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【コレコレア】さんのレスより
この記事は、2003/02にも記事になってるね、当時、近所の韓国人(朝鮮人)に軟禁状態に置かれていたとある。
http://www.kodensha.jp/knew/d12/a30203-1.htm
元の記事によると>8・15解放直後近所の韓国人らにより,自宅軟禁された日本人両親は1ヶ月余りの間息を殺し機会を窺って9月中旬ぐらいかろうじて家を抜け出したが当時四才で隣に遊びに出て行った網切氏をついに探せないまま日本行帰国船に乗ってしまい,網切氏は不意に孤児になった.
韓国人に帰化した理由は、
元記事では>“日本人両親が既に亡くなった境遇で成長と生活の基盤になってくれた韓国から韓国人に生きていくのが自然だと判断した為”と帰化理由を説明した. これなら、なるほどそうかと、納得いく罠。要は、韓国人の犯罪により、家族に引き離された、離散家族の悲劇な訳。
これは メッセージ 1 (retribution さん)への返信です.